身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

リンカーン 監督/S・スピルバーグ 感想

  • 寝不足の上、『フライト』の旅客機みたく胃がきりもみ状態、いつ墜落するかという最悪の体調だったが、このリンカーンの造形にはやられた。長引く南北戦争は次第に悲惨の色を濃くし、息子のジョセフ・ゴードン=レヴィットは自分も参戦しないと一生後悔すると強弁する。妻のサリー・フィールドは自らの発狂を賭しても息子を戦場には送らないと言う。その家庭内の板挟みに加えて、奴隷解放をめぐる憲法修正案が議会を通過するか否か、ぎりぎりの大詰めを迎える。否決されれば、内戦を終える絶好機まで失ってしまう。「1年で10歳分年をとる」ほどの、胃がきりもみするどころじゃない狭間にあって、ダニエル・デイ=ルイスリンカーンは老いの疲れを湛えつつ、微笑を浮かべた佇まいにどこか亡霊じみた凄みがある。頑迷な反対票をいかに切り崩すか? 身内の急進派=トミー・リー・ジョーンズをいかに懐柔して中間派を取りこむか? その政治的駆け引き、根回しが姑息じゃなく、暴力的な周囲の目を気にして腹の決まらない相手に対し、有無を言わせぬ説得工作なのがいい。
  • 採決のとき。まず「延期」の危機があり、バンジョーが奏でる音楽とともにリンカーン大統領の元へ側近たちが伝令に駆けだす、ややコミカルなサスペンス。読み上げられる賛成票と反対票が拮抗し、傍聴者が必死で数をかぞえるサスペンス。そして、時を刻む時計の音と、時を告げる鐘の音、窓際のレースのカーテンの使い方。このあたり、議会の「採決」という動きの少ない題材を、スピルバーグがみごと映画的な話法に翻訳している。白馬に乗って立ち去る南軍のリー将軍の後ろ姿。すべてを終えてリンカーンが目撃する戦場の死体の山、その横移動。リンカーン本人は見せず、バルコニー席で観劇する下の息子のリアクションで悲痛を物語る有名な暗殺シーン。スピルバーグがつくりだす格調と抑制の時空を、ダニエル・デイ=ルイスリンカーンが占有し、声を響かせる。若い北軍の黒人兵たちが聞き惚れた、あの亡霊めいた甘い声を。

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