身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

TRIANGLE −トライアングル−《β》 感想

  • BS-TBS「トライアングル・ナビ」を観て、行く予定のなかったミュージカル『トライアングル』のチケットを急きょ手に入れる。αかβか迷った末、工藤遥が主役を張るバージョンらしきβを選ぶ。役者・工藤遥とは彼女の初舞台作『今がいつかになる前に』以来、偶然ながら1作も欠かさぬつきあいだから。それに、ミュージカル形式ならくらもちふさこの原案漫画に引っ張られすぎない物語解釈の自由度がありそうなβのほうがいいだろう、という目論見もあった。
  • β篇初日(6月19日)の緊張感、というより緊張それ自体がみなぎる舞台だった。SFファンタジーの設定による哀切のラブ・ロマンスというところ。光揺らめく透き通ったコバルトブルーの海底世界を思わせて、幕が開くと、そこは平和な異星アルファの王宮広場か。アサダ(工藤遥)のソロにはじまるメイン・ナンバー「トライアングル アルファ」のフレーズが、フィナーレに回帰した時、どんな心の情動をあふれさせるか――その変化のダイナミズムがこのミュージカル・プレイの醍醐味となるだろう。うら若い王女・サクラ姫(石田亜佑美)をめぐる美男子ふたり、アサダとキリ中尉(鞘師里保)のトライアングル・ラブをナビやチラシのデザインから当然のように予想していたが、βを観るかぎりでは、ひかえめながら、やがて三者を超えるほどの情感を劇にもたらす、サクラ姫の侍女ローズウッド(小田さくら)を加えた四角関係の物語というほうがピンとくる。
  • ローズウッドはひそかにアサダに恋焦がれているのだが、サクラ姫に恋心を抱くアサダはそのことに気づいていながらローズウッドを避けている。ローズウッドには実はこの星に関わる因縁があって、その秘密は観客にも終盤まで明かされず、アサダに至ってはクライマックスで恋敵・キリ中尉を通して知らされることになる。いま可能なネタバレ許容範囲を超えてしまうので、ローズウッドのことはこれ以上どうも語りづらい。でも、これだけは記しておこう。傑作だった前作『LILIUM』から、女優としての飛躍を感じさせた筆頭は小田さくらだ。一途な片恋が、その報われなさに見合うほどの「愛」の報いを得た一瞬に、デュエット・ソングと連動しつつローズウッド=小田さくらの眼からひと筋ふた筋とあふれた涙は、想う人を真っ直ぐに見るまなざしの輝きや、情意を尽くした歌の説得力とともにβの至宝だった。
    • 以降も、ぎりぎりのネタバレ許容範囲を綱渡りしつつ、ときに綱から落ちそうになってること、ご承知の上、お読みください。まだ未見で、これから観る予定がすでにある方にはおすすめしません。記憶違いも、もしあればご容赦を。
  • 「触れる」「手をつなぐ」という動作が、この劇の演出上のカギをなしている。相手に触れた瞬間、「人の心が読める」というのが戦いの星ビータから来たキリ中尉の特殊能力だ。むやみに女性の心を読まない紳士のたしなみとして、鞘師里保のキリ中尉がお相手のサクラ姫に一指も触れず、フラメンコを踊るシーンは、ストイックなキリの熱情があくまでクールに沸き立って、観ているこっちまで惚れそうになる。抑制的な姿勢を貫きながら、要所でダンサブルな抑揚をつけるキリ中尉の気風は、鞘師里保自身の芸に対するストイックな姿勢にも通じていて、観ていて心地いい。男役としてのコントロールの効いた歌もいい。ナビでは、お昼休憩時にみんなから離れてひとり弁当を食べる「ぼっちキャラ」全開の稽古場風景が映ったが、今のりほりほなら「役作りの一貫じゃけぇ」と涼しい顔で言うだろう。ひとつ悔しいのは、ナビでリハシーンをやった殺陣の場がβにはなかったこと。
  • 自分も人の心が読めることを秘密にしたまま、アサダはサクラ姫の心を読んでしまうことが怖くて、というより後ろめたくて、姫のダンスの誘いに尻込みしてしまう。そんなびびりの純情男子ぶりは、拒むスノウを強引にダンスに誘ってドギマギさせる『LILIUM』のファルスの悪漢少年風のたたずまいの対極をなすともいえる。でも、いずれも母親的な愛情で守ってあげたくなる感じは似ているのかも。自分がつくりあげた遠大な遊び場が足元から崩れてゆくファルスの自己崩壊の悲鳴に対し、アサダの叫びはせいぜいが「サクラ姫、大好きだぁ」とスワスワに向かってコミカルな大声を上げるくらい。サクラ姫しか見えなかった、そんな恋する男の子が、視界の外にあったローズウッドの愛の無償性に気づいて究極の選択をする。そういう意味で、βは工藤遥演じるアサダの成長物語でもある。
  • 一片の嫌味もないアサダの思いやりのある「いい奴」っぷりは、こんな男いねえよ! と悪態のひとつもつきたくなる、少女漫画にありがちなプリンス幻想のバリエーション、といってしまえばそうだろう。王女と結婚して権力を、なんて腹に一物があるふりを装いつつ、その実サクラ姫にも恋敵のアサダにも、戦い疲れた軍人の「一片の心」で応じるキリ中尉の偽悪的なかっこよさもそう。けれど、そんな二次元発信のキャラクターが鞘師里保工藤遥という少女の肉体に、「男」のアク抜きをした中性的な透明感を帯び、一夜の夢みたいに胚胎するさまは、なんといってもこの異星のミュージカル幻想譚のスリリングな核心だろう。
  • ラストを悲しい結末という見方もあるようだから、ひとこと触れておきたい。βを四角関係の物語として見るかぎり、四者それぞれに、そしてアルファ星にも幸(さち)をもたらす、もっとも円満な終わり方だとわたしには思えた。心に裏表がなく「心を読まれる」ことが意味をなさなかった、石田亜佑美らしい陽性のサクラ姫がたどるイバラの道――下された天命におろおろするばかりだった姫が、身を引くとみえて一味違う意志的な選択をすることをふくめ。ミュージカル的大団円のなか、成就しない初恋の圧迫感が観るものの心に、彗星のような尾を引いてたなびく。
  • 脇役としてもっとも輝いていたのは、露天商ダイスを演じた佐藤優樹! アサダやサクラ姫が「世間知らず」のお子ちゃまなのをからかい、市場にもちきりの噂でけむにまく可愛い小悪党を、嬉々として演じ、踊り、歌う。この市場のシーンには、ダイスが先導するアンサンブルにミュージカル・コメディ調の心浮き立つ気分が、集約的に炸裂している。鞘師里保がブログに「優樹ちゃんの演技好きですね〜。だれにもあの演技はできない(*^^*)」と書いていた。同感です。「うらやましがり」の裏返しとして、なんだか大好きな子を翻弄するのが、うれしくて仕方がないって感じ。市場シーンでは、高瀬くるみが好演するゴシップ好きの新聞売りとアサダの掛け合いも楽しい見どころだった。
  • β篇初日は、クライマックスの一景を見上げる姿勢で目撃しちゃうサクラ姫が、驚きのリアクションで重心が後ろに傾いた拍子にバランスを崩し、足元の階段を踏み外しそうになる小ハプニングがあった。大事に至らず、劇場から安堵の笑いが漏れたそのハプニングが、心の痛覚を射ぬかれたサクラ姫のおののき、と同時に姫を演じる石田亜佑美のおののきをも二重に反映した劇中のディテールとして、クライマックスシーンの昂ぶりを彩ってくれた。一夜かぎりの特異点みたいに。弦楽パートが生演奏であったことも特筆しておきたい。演出は吉田健、脚本は「演劇女子部」の前身である「ゲキハロ」の功労者・塩田泰造。α篇も観たくなったが、そこは自重。暇ができれば、くらもちふさこの原案漫画「α−アルファ−」を読んでみたい。池袋サンシャイン劇場にて。