身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

味園ユニバース 監督/山下敦弘 感想

  • 最近の邦画では珍しいオリジナル脚本の実現に向けて、関西にゆかりの才能が集結したような映画だ。舞台は大阪ミナミの表通りからちょっと外れた、千日前と堺筋の中間に当たる「ウラなんば」近辺。大阪出身のわたしにとって、なつかしくってたまらない。同時に、今の息吹きを感じる。大阪芸大出身の鬼才・山下敦弘監督はこのところどうもピンとくるものがなかったけれど、この音楽映画でひさびさに『リンダリンダリンダ』時代の好調ぶりが蘇ってきた感がある。いや、それ以上の、リアルとファンタジーの境界領域を充たす稠密さがある。
  • 主人公・茂雄は傷害事件を起こして襲撃され、記憶を失くした。でも、なぜか歌だけは覚えているという出所不明の流れ者だ。これを関ジャニ∞渋谷すばるが演じている。わたしは今までまったく興味の範疇にないタレントさんだったが、驚いたことに映画俳優にとって必須の、大画面をひといきに占有する瞬発力がそこここで炸裂していた。過去をたどればさびれた豆腐屋の跳ねっ返り息子(家出亭主?)にすぎないようなのに、まるで流刑された王族の貴種流離譚のような貴い血筋の気品と凄みすら感じさせる。
  • 煮詰まって、進退きわまったこの「過去を失くした男」を新たに「ポチ男」と名づけ、歌手として受け入れてあげるのが、大阪ミナミに小スタジオをかまえるマネージャーのカスミだ。演じる二階堂ふみは沖縄出身ながら、気骨のある「大阪の女」を自然体で呼吸していて、彼女も渋谷すばるに負けず素晴らしい。今はどうなってるか知らないが、20年ほど前、那覇の市場に旅の途上で紛れこむと、大阪の市場の混沌たる怒声と活気に通じるものが身体をしびれさせたものだ。大阪と沖縄って、どっか地続きのラテン気質のようなものがあるみたい。
  • 二階堂ふみ演じるカスミはただの小娘なんだけれど、どこの馬の骨かもわからない大阪弁でいう「あかんたれ」を仲間に受け入れてあげる。今は放心して牙を抜かれている――でも、ふとしたきっかけで何をしでかすかわからない、渋谷すばるのポチ男の荒ぶる過去を封印してあげる。思い出しそうになれば、お鍋で殴ってでもそれを阻止するというのが面白い。ひたすら破滅へと向かっていたポチ男の時間を、時の止まった記憶喪失の吹きだまりにカスミが食い止めてあげている感じなのだ。
  • 身近な音楽仲間がポチ男のことを「恋人?」とからかうのを、「しょうもなー」とかわしながら、カスミは弱小スタジオのボスとしてアウトローの音楽おじさんもポチ男も分け隔てなく包容する。はだしの似合う大阪の小娘でありながら、面倒見がよく、肝っ玉の座ったビッグ・マザーでもある。いつも車座の中心にカスミがいて、そこから少しはぐれたところに存在を消すようにポチ男がいる。でも、ひとたび音楽がはじまると、中心はメインボーカルのポチ男となる。隠れていたポチ男の牙が歌のソウルとなって鈍色に輝き出す。
  • タイトルの「味園ユニバース」は、わたしたちの世代なら大阪ミナミの映画館や深夜テレビなんかのCMで馴染みが深い「大阪千日前、みその、みその〜」の老舗キャバレーの名前だ。あの頃はふたりとも、なぜかしら世間には♪ とはじまる和田アキ子の名唱で有名な「古い日記」がポチ男=渋谷すばるの持ち歌の十八番なのだが、そう、あの頃の陽気さと淋しさの入り混じった、ケバくていびつな真珠のような昭和の華やぎを残しつつ、今のユニバースは貸しホールとして地元の名物バンドのワンマンライブを演ったりして、一周回った最先端の空間に回帰してるようだ。
  • その無国籍アジアの空気感を映画は鮮やかに伝えていて、ムード歌謡からパンクロックまでを包摂したワールドミュージック風味のごった煮ライブが、殺風景なかげりの異空間をきらびやかで猥雑な祝祭空間に変容させてしまう。映画と音楽の魔法というほかない。
  • 緻密に計算されていながら、そういう技巧を見せずに、ぐだぐだ無手勝流にやってるようにもみえる演出。地元の名物バンド「赤犬」らを交えた役者×ミュージシャンの車座アンサンブル。都市生活の厄介なこと、気難しいことをひとまず放り投げ、ほんとにひさしぶりに、映画と音楽だけが実現可能な、時の止まった吹きだまりのような祝祭的“ディープ大阪”を堪能させてもらった。(2月14日より、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿バルト9、TOHOシネマズ梅田ほか全国にて公開)

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