身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

2006-11-01から1ヶ月間の記事一覧

外堀を埋めるシリーズ 大団円

ミュージカルの“新大陸”へ。 名古屋を残すのみとなった『娘。ツアー 2006秋 踊れ!モーニングカレー』(わたしが観たのは武道館と千葉)は、メンバーがMCでさかんに使ったカレーの比喩でいくと、ぐつぐつ煮えたカレーの飛沫が飛んできて熱っ! 熱っ! って…

外堀を埋めるシリーズ 7c

超HAPPYな惜別の振付。〈断片的エピローグその3〉 『娘。LOVE IS ALIVE! 2002春』in SSA は、夏の嵐をまだ知らぬ娘たちが波打ち際の切っ先に立っているようなライブだったと思う。炎と拳が天を突く「そうだ!We're Alive」にはじまり、男役×女役のコール&…

外堀を埋めるシリーズ 7b

オーディションというドラマ。〈断片的エピローグその2〉 いくらでも取り替えできるその他大勢のちょい役とも思われがちなコーラス・ダンサーを、主役として前景に押し出してスポットを当てる。『コーラスライン』はそんな画期的ミュージカルだった。ひとり…

外堀を埋めるシリーズ 7a

月夜のコーラス隊。〈断片的エピローグその1〉 このふらつき気味の“外堀シリーズ”は「ザ☆ピース」から『リボンの騎士』を横目にみつつミュージカル・コメディ周辺を迂回して、再び初っぱなの「Mr.Moonlight」に戻ってこようとしている。しかし、まとめには…

覚え柿(2きれ目)

荒れ地を歩く小春ちゃんのフルサイズ正面、緑の丘を歩く亀井ちゃんのアップ正面から、カメラが右前方を牧場の柵ぞいに歩く美貴ちゃんのウエスト・ショットに切り替わるとき、背後で美しい栗毛の馬がちょうど彼女の歩みと直角に画面をすずしげに横切る。その…

1きれ目

歩いてる――思考に先行する歩行。まず歩みだすこと。〜だから歩くのではなく、ただ歩く。歩いてるさなかに考えること、願うこと。 人間(の生)についてのモデル3態。 海のモデル つかみ取る木切れもなく、たどり着く陸地もない海。漂泊。(タルコフスキー:…

外堀を埋めるシリーズ 6c

ミュージカルが“子供”だったころ。〈急〉 フランスのヌーヴェルヴァーグの連中がハリウッドのウェスタンやスクリューボール・コメディ、サスペンスやB級アクションといったジャンルから“映画作家”を発見し、そのすぐれた作家性を愛してやまなかったことはよ…

『白蛇伝』福田花音

昨夜は舞台上の福田花音のことを書こうとして手が先に進まず、断念してしまった。彼女が演じるシャオチンは、安倍なつみの白素貞=白娘(パイニャン)につかえる青ずくめの魚の精だ。パイニャンと島の青年との恋をとりもったり、妖魔の野望をくじいたりする…

『白蛇伝』初日

ル・テアトル銀座。ここは想い出の地だ。ホテルが建つ前はシネラマの大劇場だった。『屋根の上のバイオリン弾き』を観たときはテーマ曲の「サンライズ・サンセット」に差しかかったとき、館内のほうぼうでくぐもるような合唱が起こった。珍奇な体験だった。…

外堀を埋めるシリーズ 6b

ミュージカルが“子供”だったころ。〈破〉 ブロードウェイのミュージカル史を覗いてみると、第2次大戦の戦時体制下に開演した『オクラホマ!』*1という画期的作品をもって、ミュージカルは“ミュージカル・コメディ”から“ミュージカル・プレイ”に進化したとい…

外堀を埋めるシリーズ 6a

ミュージカルが“子供”だったころ。〈序〉 「でもぼくは馬鹿じゃない。記憶力だってものすごくいいんだ」。そう久住小春扮する大臣の息子は胸を張る。おもむろに歌いだす。大臣の息子が自慢するその「記憶力」ってなんだろう? 幼いころ、本棚に毎月増えてゆ…