身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

外堀を埋めるシリーズ 7a

月夜のコーラス隊。〈断片的エピローグその1〉

  • このふらつき気味の“外堀シリーズ”は「ザ☆ピース」から『リボンの騎士』を横目にみつつミュージカル・コメディ周辺を迂回して、再び初っぱなの「Mr.Moonlight」に戻ってこようとしている。しかし、まとめにはいると、そこからこぼれ落ちてしまうものがまだボロボロ出てくる。それを拾い集めていると、脚註だらけになってしまう。それならいっそミュージカル・コメディのひそみにならい、ご都合主義をも拒まない姿勢で挿話や想念のきれはしを繋いじゃおう。とりあえずの大団円に向けて。
  • ネオスウィングの宝塚的ゴージャス化として世に出た「Mr.Moonlight」は、ラグタイムからスウィング・ジャズまで、ミュージカルのゴールデン・エイジがジャズとともに在ったことを思えば、ミュージカル・レビューのいいとこ取りコンパクト化ということもできるだろう。ただ、その七変化するフォーメーションの魅力をTVで把握するのが困難な楽曲だった。寄り気味の画を基本にときどき大きく引いてアクセントをつける、という感じのTV的カット割りでは、コーラス隊のダンスステップ込みの集合パフォーマンスの面白さが伝わらないのだ。そういう意味でもったいなかった。
  • フルコーラスを歌えないTVはまあ仕方がないとして、ライブ映像なんかでも「Mr.Moonlight」のよさは伝わりづらい。黄金期のミュージカル・コメディを観ていると、そのカメラワークの的確さにうならされる。ダンス・ナンバーの間、カメラは基本、全身を入れこんだフルサイズで、寄ってもミディアム(膝から頭)かウェスト(腰から頭)まで。カットを割るのは必要最小限。ダンシング・アクターの芸を、彼(彼女)が占有する空間込みに見やすい位置から撮るという写実の基本に徹している。しかも、対象をフォローし、移動する長廻しのショットに、ダンサーの鼓動に呼応するような内的なリズムがあるのだ。
  • どうも最近のライブ映像を観ていると、長廻し=退屈と勘違いしているようで不必要にカットを割って手先だけのかっこよさを演出したがる。不必要に映像美に走って、パフォーマンスそのものの美を写すという基本を忘れてしまう。ダンス・シーンをやたら細かいカットで見せたのは、映画では世界的に大ヒットした1983年の『フラッシュダンス』あたりが最初だろう。これは要するに、主演のジェニファー・ビールズが踊れないから、細かくカットを割ったり、引き画をシルエットにしたりして“かっこよく”ごまかしたのだ。ところがいまや、後藤真希清水佐紀のダンスの見せ場をご丁寧に細切れにしてせっかくのパフォーマンスをだいなしにしちゃうのだ。本末転倒というほかない。ショウ・ダンスの撮り方の基本も、長廻しの内的なリズムというものも、演出家やカメラマンが素人のわたしほどにもわかっていないんだなぁとくやしく思う。
  • ところで、「Mr.Moonlight」のコーラス隊を、3人の男役の主役に対するその他大勢の“バック・コーラス扱い”と言いつのってファンが怒る、てなことがリリース時には起こったものだ。小粋で小生意気なくせにドジで泣き虫でもある吉澤ひとみら3人の美男子と、娘たちの恋の綱引き――ラララランラランのコーラスとともに女子のほうが勢いづきもする丁々発止のミュージカル的掛け合いこそが、ミスムン・パフォーマンスの面白さなのに。繰り返すが、残念なことにそれがTVでは伝わってこなかった。
  • わたしがはじめてミスムン・パフォーマンスを心ゆくまで堪能できたのは、『娘。LOVE IS ALIVE! 2002春』のツアー時だった。小川麻琴の台詞にはじまる「初めてのロックコンサート」が、ごっちん・圭ちゃん・ごっちん・圭ちゃん・かおりと歌を受け継ぎながら“恋わずらい”の甘酸っぱさで会場を充たす。そんななか、“夢見た人に恋しちゃうまこっちゃん”つながりでライブは「Mr.Moonlight」へとなだれてゆく。愛の誓いに「たぶんきっと」なんて留保をつけて娘たちをダンスにいざなうモテ男・吉澤ひとみ安倍なつみ後藤真希を囲んで、娘。13人がひとつの有機体となったパフォーマンス――『ウエスト・サイド物語』の名ナンバー「アメリカ」をも思わせて、二手に分かれたフォーメーションが融合し、幸福感の渦をつくるソング&ダンスの掛け合いにほれぼれした。やはりミスムンばかりは、引いた位置からフルサイズ全長版のステージ体験をしなくっちゃ。
  • さて、コーラス隊が主役になるミュージカルの舞台で想い出すのは、『コーラスライン』だ。わたしは劇団四季の初演時にこれを観た。劇団四季が『CATS』や『ライオン・キング』で大当たりをとる前のこと、当時の劇場の雰囲気には、日本にホントの意味でミュージカルが根づくかどうか、『コーラスライン』が試金石であるような緊張感が漂っていたように記憶する。(この項続く)

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