身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

外堀を埋めるシリーズ 7b

オーディションというドラマ。〈断片的エピローグその2〉

  • いくらでも取り替えできるその他大勢のちょい役とも思われがちなコーラス・ダンサーを、主役として前景に押し出してスポットを当てる。『コーラスライン』はそんな画期的ミュージカルだった。ひとりひとりのエピソードを串刺しにしたような物語のモチーフとなるのは、新作ミュージカルのオーディション。8期におよぼうとする娘。オーディションを連想してみてもいい。顔をこわばらせてぎこちなく踊った後藤真希、お腹が痛くなり踊るのをやめて膝をかかえた吉澤ひとみ……。落ちるか受かるか、二つに一つの白線・コーラスラインに立ち、ダンサーのタマゴたち(なかにはベテランの落伍者も)が最終選考に挑む。自分たちがこれまでどんな日々を生きてここに立っているか、おのおのが主役になっておずおずと語り、歌い、踊るのだ。
  • これをまずオフ・ブロドウェイにかけるために“ダンサーズ・プロジェクト”というワークショップを立ち上げ、集まったダンサーたちの経験を実際にインタビューし、使えそうなエピソードを白紙の台本に再構成してゆく。そこから、振付兼演出家のマイケル・ベネットはミュージカルをつくり上げていったという。肌の色も社会階層も家庭環境もそれぞれ違う候補者たちが横一線にならび、コーラス・ダンサーの座を勝ちとるために真情を吐き、芸を競う。その圧倒的なリアリティが、幾枚もの大鏡をあしらったショウに結晶してゆく面白さ。ブロードウェイで観劇してきたばかりの淀川長治氏の興奮ぎみのラジオ・トークを通し、わたしは『コーラスライン』を観たいというかなわぬ想いをつのらせていった。
  • その『コーラスライン』に劇団四季が無謀にも取り組むという。人種や民族のるつぼが煮え立っていた70年代当時のニューヨークと、みんなが中流化に向かっていた80年前後の東京では、劇的なリアリティに大きな差がある。ダンサー予備軍の厚みにも落差がありすぎる。だいたいミュージカルの舞台にしてからが、日本では宝塚歌劇を除けば、まだ森繁の『屋根の上のヴァイオリン弾き』と市川染五郎(現在の松本幸四郎)の『ラ・マンチャの男』(エクセレント!)が大当たりをとっていたくらいだった。題材であるミュージカルのオーディション自体、日本では一向にポピュラーじゃなかった。当然、無理な企画だよ、失敗するよ、とささやかれた。そのマイナスの札だらけの状況を逆手に取るように、劇団四季は実際の配役を広くつのってオーディションで選ぶところからはじめたのだった。
  • おそらくブロードウェイ版と比較すればまだまだだったろう。それでも、劇団四季の初演版『コーラスライン』は素晴らしかった。一般にはミュージカルが認知されはじめたばかりの日本のバージョンとしてこれを創作することこそが、まさに落ちるか受かるか、二つに一つの白線に立つことだった。その安定を欠いた緊迫感が舞台を白熱させていた。とくに、汗にまみれた稽古着姿の候補者たちが、シルクハットとステージ衣装を身にきらめかせ、誇り高きコーラス・ダンサーとしてマーヴィン・ハムリッシュの「One」を歌い踊るクライマックス! 悲喜こもごもを乗せ、ラインダンスが大鏡の角度によって幾重にも花咲く高揚感が忘れられない。
  • リボンの騎士』公演時には、ミュージカルを日頃観なれた方たちの感想もいくつかネットに上がった。刺激的な考察も少なくなかった。が、わたしがROMしたかぎり、劇団四季東宝を頂点とする日本のミュージカル・シーンを安定したピラミッドみたいにみなし、その確固たる前提に立って芸の未熟な下っ端の劇としての健闘が語られていることに、かるい違和感をおぼえもした。もちろん劇団四季東宝の、日本のミュージカル界に果たした役割は計りしれない。興行の基盤も整備され、演じ手の技芸も向上した。けれど、あの“安定を欠いた緊迫感”の輝きを身に浴びたものとして、たった10年や20年で日本のミュージカル界に安定されちゃたまんないとも思う。風穴を開けるムーブメントが、思わぬところからもっともっと巻き起こってほしい。
  • オリジナル版『コーラスライン』が世に出た70年代、ブロードウェイは時代から取り残されて不況にあえぎ、界隈はドラッグやポルノや売春の巣窟と化していたという。ブロードウェイの終焉もささやかれた。演出家としては無名の存在だったマイケル・ベネットがワークショップから立ち上げた『コーラスライン』は、15年という当時のロングラン記録を打ち立て、状況を一変させた。ブロードウェイは再び活気づき、観光客が世界からわんさか押し寄せるようになったのだ。そういうミュージカルの発信基地になれるようなオリジナル版が日本にも生まれてほしい。『リボンの騎士』がそうだとおおげさに言うつもりはない。ただ、所詮アイドル・ミュージカルという世間的な先入観を突破すれば、ひとつの継続へのささやかな糸口となる可能性だってあるはず。(この項続く)

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