身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

覚え柿(2きれ目)

  • 荒れ地を歩く小春ちゃんのフルサイズ正面、緑の丘を歩く亀井ちゃんのアップ正面から、カメラが右前方を牧場の柵ぞいに歩く美貴ちゃんのウエスト・ショットに切り替わるとき、背後で美しい栗毛の馬がちょうど彼女の歩みと直角に画面をすずしげに横切る。その一瞬の偶然をかけがえがないと思えるのはなぜ?
  • ほどなく娘たちが手をつないで歩く海辺の夕景から、キャンプファイアーの一景へ。夜の気配を深めてこの地を圧する天蓋を支えるように、吉澤ひとみが娘たちの背後で雄々しくすずやかに両手を広げる。その十字型の姿態は立ちのぼる火炎とひとつになって画面の鮮やかな垂直軸をなす。そして、炎を囲んで横ゆれする娘たちと、もうひとつの大きな十字をかたちづくって響き合う。
  • むかし都会の厄介ごとから逃げ出し、北海道の牧場で数ヶ月働いていたとき、牧場主の娘さんと仲良くなった。かおりという名の小学5年生だった。朝の搾乳から夕べの餌やりまで1日の仕事を終え、芝に寝そべって満天の星空をながめていると、傍らにちょこちょこやってきて「地下鉄ってどんな乗り物?」とか、見たことのない都会の話を聞きたがった。「お兄ちゃんは街と田舎のどっちが好き?」。「いまは田舎かな。こうしてかおりと居られる時間が大事だもん」と軽口をたたくと、「命より大事?」とまっすぐな瞳で問うてきた。時々ドキッとするほど本質に触れる問いかけをする子供だった。
  • かおりのおじいちゃんとおばあちゃんは、いわば“開拓世代”。福島県の小作農だったが、昭和7年の冷害をきっかけに北海道東端のさいはてにまでやって来たそうだ。眼前にあるのはだだっぴろい大地と森だけ。酪農5カ年計画に乗って県から来た40世帯は次々に脱落し、結局残ったのは8戸のみだった。
  • でも、どこかが脱落すればそれだけ土地が増えた。ビートと亜麻しかとれない痩せた土地だけど、月明かりのなかでも夢中で畑を耕した。1歳の子供を柱に縛りつけ、ぶよに泣きたいほど刺されながら馬鋤をつかって夫婦ともども耕し続けた。それから7頭の牛を飼った。朝手しぼりし、雪の日はソリを駆って収乳所までミルクを運んだ。
  • 晴れた日なか、開墾の名残である樹木の枝払いにナタ1本もっておじいちゃんと出かけると、仕事の合間、木株に一服しながらそんな思い出話をしてくれるのだ。笑っちゃうほどかつかつの暮らし。でも、ひとクワひとクワの営みによって畑が広がり、牧場が大きくなる充ち足りた気分があったと。
  • それがいま、二代目が経営する時代となって牛は百頭を超え、手しぼりは機械しぼりとなった。ソリなどなくともミルクは業者がくみ上げに来る。家も真新しくなった。だが、その実態は危ういものだった。自由化の波のなか、アメリカに勝つための大規模経営を目した設備投資が負債をかさませていた。需要は伸び悩み、せっかくしぼったミルクも生産調整の憂き目にあっていた。
  • 貧しさのなかの“豊穣”のときはすでに過ぎ、豊かさのなかに“荒廃”が忍び寄っていた。わたしは経済効率を追い求めた牛舎のなか、ほとんど走りながら作業をしていた。都会人がいだく手前勝手な“のどかさ”のイメージは数日でふっとんだ。難産の末に雌牛が産まれたときの深い安堵感とか、牛たちの隊列の先頭に立って夕刻の牧場を歩いてるときの誇らしさとか、かおりとのおしゃべりの楽しさとか、忘れがたい喜びもいっぱい味わったけれど。
  • ある日、牛が草をはむ以外、一切が静止したような牧場の午後ひとりでたたずんでいると、地平線からこちらへと芝の葉先をきらきら波打たせて一陣の風が巻きおこった。その「ひと風」を二度とないかけがえのないものと感じるあの感覚は、都会暮らしではなかなか戻ってこない。あれからずいぶんときが経った。牧場のその後のことを、わたしは知らない。かおりはまだ、あのまっすぐな瞳をもってくれているだろうか?
  • はかない原形を夢みていた。
破片は一つに寄り添おうとしていた。
亀裂はまた微笑もうとしていた。
砲身は起きあがって、ふたたび砲架に座ろうとしていた。
みんな儚い原形を夢みていた。
ひと風ごとに、砂に埋もれていった。
みえない海――候鳥の閃き。
(丸山薫詩集より。*候鳥とは渡り鳥のこと)

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