身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

外堀を埋めるシリーズ 6b

ミュージカルが“子供”だったころ。〈破〉

  • ブロードウェイのミュージカル史を覗いてみると、第2次大戦の戦時体制下に開演した『オクラホマ!』*1という画期的作品をもって、ミュージカルは“ミュージカル・コメディ”から“ミュージカル・プレイ”に進化したということになる。なにが画期的なのか? 物語内容のレベルでいうと、これによってミュージカルはバック・ステージや童話などを題材にしたお決まりのハッピーエンド・ストーリーであることをやめ、悲劇をも取りこんだ「豊かな物語性」をもつにいたった、というわけ。でも、より本質的な転換は、作劇のレベルのほうにある。
  • それまでのミュージカル・コメディは、既成曲にしろ劇のために書かれた曲にしろ、アーヴィング・バーリンジェローム・カーンやジョージ・ガーシュインといった同時代作曲家の歌曲(その多くはスタンダード化している)がまずあって、その曲たちをうまくはめこめるように物語をひねりだしてゆくというものだった。ロジャーズ=ハマースタイン2世という作曲=作詞家コンビはこれを逆転させたのだ。あくまで脚本を中心におき、作詞家は脚本に深くコミットして作詞と台詞を連関させ、作曲もその劇構造に照応させて行われる。曲に合わせて脚本をつくってゆくやり方から、脚本に合わせて曲をつくってゆくやり方への大転換。これによって、ミュージカルはストーリーが主導権をにぎり、演劇的に巧みな構成をもつミュージカル・プレイが主流となった。そのいくつかは、名作としていまも世界の舞台にかかっている。
  • ところで、ブロードウェイ初演の舞台を観ることがかなわないわたしたちは、ブロードウェイの流れを後追いしてきたミュージカル映画をとおしてこの転換点を確認することしかできない。すると、ブロードウェイ史のようにすっきりとはいかない厄介な事態となる。映画『オクラホマ!』がミュージカル大作として鳴り物入りで封切られた1955年は、高度なスタジオ・システムとスター集団によって爛熟の宴を競ったMGM(ライオンマークで有名なかつてのメジャー映画製作会社)の黄金期ミュージカル・コメディがようやくかげりをみせはじめたころに当たる。TVという強力ライバルの台頭。映画界はヴィスタビジョン、シネマスコープ、70ミリ、シネラマと上映形態の大型化を対抗策として打ち出し、ミュージカルでは『オクラホマ!』がそのトップを切ることになった。大型スクリーンにまず求められるのはスペクタクルだ。シーンは華美でモダンなスタジオ・セットから屋外ロケによる大パノラマへ。ダンスは個人芸やデュエット芸から、ダイナミックな群舞が中心に。しかし、ロケーション効果や大群舞のしかるべき成果を語るには、60年代の『ウエスト・サイド物語』や『サウンド・オブ・ミュージック』(ロジャーズ=ハマースタイン2世の到着点)を待たねばならない。
  • では、『オクラホマ!』が獲得したはずの「豊かな物語性」はどうなのか? オクラホマがいよいよ州として発展していこうとする20世紀初頭の夜明け、その「美しい朝」をカウボーイが歌うところからはじまるこのミュージカルは、意地っ張りなヒロインがちょっとしたボタンのかけ違いから、カウボーイを愛しながら農場の小作人とのお祭りデートに応じてしまう、そこに端を発する悲劇と再出発を物語の中心におく。南部の閉じた共同体で性的エネルギーをうっ屈させ、陰にこもった男くさい小作人ジャドというのが従来のミュージカルではありえない思い切ったハミダシ者キャラクターだ。*2 映画ではロッド・スタイガーというクセのある後の名優がこの恋がたきを演じているにもかかわらず、周囲から浮きまくったヤナ奴にしかみえない。南部の田舎のピューリタンな善性にひそむカゲが切実なかたちで浮かんでこず、新時代へのステップを語りながら、単に後味が悪い。なまじ物語に野心をこめると、ミュージカルは重たるく冗長になって失敗しがちよね、というミュージカルの昔からの鉄則を確認して終わってしまうのだ。*3
  • それにしても、ミュージカル・コメディと映画のいかにも身軽な相性の良さにくらべ、ミュージカル・プレイの映画化大作にはいくつかの例外をのぞけば、『回転木馬』から『オペラ座の怪人*4 まで、どうしてこうしかばね累々と鈍重な凡作が並んでしまうのか。それをいまひとつひとつ検討している余裕はない。*5  ミュージカル・コメディからミュージカル・プレイへの進化というけれど、つい映画に比重を置いてしまう人間としてはつむじを曲げて“退化”の側面に目を向けたくもなる。たとえば、トリュフォーゴダールといったフランス・ヌーヴェルヴァーグの連中がハリウッドのミュージカル・コメディをこよなく愛したのはなぜだろう?
    • 最近は更新するたびに、いちごのツブログに触れている気がしますが、《27つぶ目》の、『白蛇伝』の稽古で気弱になりかけたときにロビンお姉ちゃんから来た励ましメールのくだりや、ロビンを親友じゃなく「心友」と呼ぶくだり、感銘を受けました。福田花音ちゃんはなまじな大人より自分にきびしいプロフェッショナルですね。

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*1:くしくも宝塚歌劇月組が今秋10月、日生劇場で再演したばかり。

*2:宝塚の舞台がこの陰性キャラクターをどう造型してみせたのか、ちょっと興味があります。

*3:フレッド・ジンネマンという一線級の硬派監督を起用したそれなりの野心作でありながら、映画『オクラホマ!』の出来は誉められたものではありません。ただ、ひとつつけ加えると、ヒロインをめぐる小作人とカウボーイの決闘のダンス・ナンバー「ドリーム・バレエ」は圧倒的でした。アグネス・デミル振付によるこのナンバーは、大農場主の娘であるヒロインにとり憑いた悪夢としてこれを表現し、ミュージカルにおけるダンスの役割を登場人物の心のひだにまで分け入るものへと押し進めたのです。

*4:同じ原作によるロック・ミュージカルとしてわたしはデ・パルマの74年作『ファントム・オブ・パラダイス』が思い出されてなりませんでした。大作『オペラ座の怪人』のオペラ志向の格調の高さより、ずっとローバジェッドな『ファントム〜』のポップ志向のとぼけた怪奇趣味のほうが、はるかに怪人の悲しみが身に迫りますよ。

*5:“オールド・ファン”には『ウエスト・サイド物語』以降のミュージカルは認めないというひともいます。数年おきにリバイバルを繰り返した『南太平洋』や『ウエスト・サイド物語』や『サウンド・オブ・ミュージック』を青春期に劇場の大画面で観るところからミュージカルに出会ったものにとっては、なんとも複雑な気分。“『ウエスト・サイド物語』以前”というときの大部分を占める黄金期ミュージカル・コメディ群(とくに1930年代半ば〜50年代半ばに傑作・佳作が集中します)を、わたしの世代は後々になってミニシアターやLD(レーザーディスク!)をとおしてようやく観る機会をもつにいたりました。回顧や郷愁ではありません。『雨に唄えば』も『リリー』も『パリの恋人』も、『ウエスト・サイド物語』以後の新たな発見だったのです。