外堀を埋めるシリーズ 6a
ミュージカルが“子供”だったころ。〈序〉
- 「でもぼくは馬鹿じゃない。記憶力だってものすごくいいんだ」。そう久住小春扮する大臣の息子は胸を張る。おもむろに歌いだす。大臣の息子が自慢するその「記憶力」ってなんだろう? 幼いころ、本棚に毎月増えてゆく百科事典の背表紙を、柱に足かけんときぃや、って叱られながら寝転がって眺めていた。そんなぼんやりした子供だった。あ−いた、いち−おえ、おお−かて、かと−きよ……。いまでも、“あ”から“わん”まで、すらすら暗誦できてしまう。元素記号列なんてすぐ忘れてしまうのに、こんな意味のないことばかり覚えている。あ〜あ。でも、子供の記憶力ってそういうものだろう。大人になれば、無意味なものは記憶しないという排除と選別が働きもするが、子供はそうじゃない。大臣の息子の記憶力も、意味と無意味の垣根を木っ端みじんにしちゃうようなもんだ。それが虚構と現実の垣根を木っ端みじんにしちゃうのと同様に。
- かれーらいすせんえんあいすくりーむよんひゃくえんほっとどっぐもよんひゃくえんでけちゃっぷとますたーどついてる♪ 大臣の息子のソロにはじまり、小川麻琴のナイロンがこれに加わるナンバー「記憶力」は、この馬鹿息子の成長や出世に関わらない。『リボンの騎士』という物語の進展において、なにか伏線になるわけでもない。吉澤ひとみの大臣が引き継いで「さっさと引っ込んで物語は先に進むんだから次の場面の支度でもしろって言ってんのがわからないかまったく」と歌を締めるように、まったくもってそうなんだ。それにしても、ミュージカル一発目のソロ・ナンバーが、物語を先に進るべく機能しない、物語にとって無意味だと自ら打ち明けまでしてしまうとは! けれど、わたしたちはこの「記憶力」というナンバーを愛してやまなかった。どうしてアルバムに入ってないの? とくやしがりもした。
- それどころか、ミュージカル『リボンの騎士』の物語が本格的に始動する初っぱなにこそ、このナンバーはぜひとも必要と、無謀にも力説したくなる。久住小春と小川麻琴が対になって歌い踊り、舞台を転げ回る幸福感ゆえに、というのが大元にある。わたしはその大元に立つもののひとりだが、そこに穴だらけながらいくばくか論理的な説得力をもたらすべく、もう少し“ミュージカル”と“物語”の関係に分け入ってみたいと思う。それには、いささかの迂回が必要になる。もっとも、この「外堀を埋めるシリーズ」全体が、『リボンの騎士』にDVDのかたちで新たに向き合うための“まわり道”のつもりなのだが……。というわけで、《前項》で記したようにモーニング娘。の「ザ☆ピース!」が目配せし、その養分を吸収しようとした“ミュージカル・コメディ”と、現在のミュージカルの主流である“ミュージカル・プレイ”の本質的な違いに、本項の続きではしばし視線をさまよわせたい。
_____