身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

『白蛇伝』福田花音

  • 昨夜は舞台上の福田花音のことを書こうとして手が先に進まず、断念してしまった。彼女が演じるシャオチンは、安倍なつみの白素貞=白娘(パイニャン)につかえる青ずくめの魚の精だ。パイニャンと島の青年との恋をとりもったり、妖魔の野望をくじいたりするために、白素貞の伝令となり懐刀となって活躍する。あるときは得意の魔法で舞台空間を支配し、舞台の後景に控えているときもヒロインの恋路に一喜一憂してみせる。お茶目な笑いをみせたり、素っ頓狂にびっくりしたり、脇役としてひとつひとつのシチュエーションの流れに懸命にリアクションの表情をつくっている。
  • シャオチンを舞台で演じきる。シャオチンになりきる。11歳の福田花音の演技への意志は、ファンとしていじましく、心を打つ。その一方で、そんながんじがらめになっていちいち表情をつくらなくてもいいのに、とも思ってしまう。愚かなファンの杞憂だろうが、大人がほめる演技ってこんなものと悟ったような、児童劇団出身の子役にありがちな妙なイロのついた悪達者な芝居*1 に、花音ちゃんにはわずかなりとも染まってほしくないのだ。
  • といって、子役の舞台演技そのものを否定したいわけじゃない。たしか席料500円くらいだった日生劇場天井桟敷からミュージカル『アニー』を観たとき、晴ればれと楽しかったのは、子供たちが役の世界を心から好きになってすすんで自分を律し、歌こみの演技をとおして自分を解放しているからだった。役を媒介にした子供たちの自己開放のエネルギー。とりわけ子供の演技は、役の表情を型どおりにつくりこむことよりも、役から型破りにあふれでてくるもののほうが、ずっと大切なはず。
  • 白蛇伝』の世界は、思春期前の子供が心から好きになるには難しいということがひとつあるだろう。ほんとはちっとも難しくないのだが、ひとに触れると壊れてしまう心やら、涙に込められたひとの愛やらに、つくり手が薄っぺらなウンチクを傾けてしまう。結果、どんなに理解力のある子供でもこんがらがる。それならば、演出家が子供たちの芝居を固めてしまわず、細かい段取りからもうちょっと自由にしてあげればいいのにと思う。福田花音が青魚の精として、天衣無縫に舞台空間を跳ね回ることができるような自由度を、もっと与えてあげればいいのに! バレエの経験を生かして身のこなしが(足の差し上げ方とかも)すごくきれいだっただけに、余計くやしい。まあ、ゴタクはここまで。あとは、遠くから見守ります。《いちごのツブログ》に「日々、成長するシャオチンを見守っていてくださいね」とあるように。
    • なっちのことも少し。ポスターなどに露出しているのはプラチナ・ブロンドの白蛇=白素貞ですが、かりそめのひとの姿として黒髪のパイニャンになるんです。その長い黒髪のなっちに不意打ちを食らいました。ハッとするほど新鮮で美しかった。あんなふうに誘惑されれば、地の果てへでもひとたまりもなくなびいちゃいますね。あれで、男をへたすりゃ破滅させちゃうような、ファム・ファタール(宿命の女)的な危険な魅惑が“あやかし”でもある役どころとして加われば完璧なのになぁ、と思いました。
    • それにしてもアップフロント東映さんのコラボは、なかなかうまくいきませんね。東映は、11月25日から公開される 監督・脚本:万田邦敏(知る人ぞ知る俊才)出演:赤井英和田中好子薬師丸ひろ子(3人とも好演)の『ありがとう』がひさびさの秀作です。ポスターをみると、よくある下町人情もの×ノンフィクション感動ものみたいな野暮ったさで、相変わらず売るのがヘタだなと思いますけどね。演出はずっと垢抜けているのに。阪神淡路大震災なんて困難な題材を扱いながらも。この映画の後半を観ると、監督・脚本が万田邦敏、主演が吉澤ひとみの痛快スポーツ・コメディに期待したくなりますよ。アップフロント東映さん、ローバジェットの小品として単館向けにいかが?

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*1:他の3人の子役がそうだといいたいのではありません。