身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

Mフェアの後藤真希

  • 後藤真希山口百恵はむかしよくつなげて語られた。ともに中学生でアイドルとしてデビューしながら“夜の領域”を豊麗に感じさせたからだろう。*1 たしか15歳の誕生日のときだったと思う、ごっちんはラジオでこうつぶやいた。もう人生の半分が過ぎた気がする、と。自己形成期に身をけずって人気の頂点をきわめ、なおかつ歌い続けることの栄光と痛苦。その甘美な痛みを耐えつつ、いま後藤真希山口百恵の「ラスト・ソング」を歌う。同じ夜の領域でも、山口百恵は夜の一画に巣づくりして聴くものたちを母性的に抱きとめる感じだった。後藤真希は選ばれし子供のごとく夜に憑依する。つやめく夜、森で迷子になった女の子が魔物じみた森の精に出逢い、人知れずためらいがちに手を差しのべるような。聴くものはその無垢の脈動を空気の震えとともに受けとめ、おののくばかりだ。晴天娘とも呼ばれる娘が歌い続けるために犠牲にしてきたものの計り知れなさを思って。
  • 前の週、安倍なつみ川嶋あいにサンドイッチされたあの大御所さんは、あくまで主役として振る舞っていた。いまでも好きじゃないけれど*2 谷村新司には感謝を捧げておきたい。ごっちんが拓く地平のサポート役に徹してくれて、ありがとう。

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*1:山口百恵には「夜へ」という佳曲があった。相米慎二監督の『ラブホテル』の挿入歌としても印象的に使われた。

*2:“やさしさ”をイデオロギーとする“反体制”が体制と補完しあって肥大し、結局変わり映えのしない体制をつくりあげる。そういうあのころの時代の担い手は、わたしにとって一貫して“壁”でしかない。