身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

4.28/よこすか事変

  • 吉澤ひとみが急遽リーダーに抜擢された直後の、2年前の八王子コンにたまたま居合わせたときもそう思いましたが、モーニング娘。というのは危機に瀕すると、これでもか、これでもかという力を発揮するグループだなぁと改めて思い知らされました。わたしは横須賀・夜の公演が今回のツアーの初見ということもあり、愛ちゃんリタイアの一報に接したときはひどく落ちこみました。ところが、まさに災い転じて福にしてしまう大逆転のライブとなったのです。観終わったあとの、心が清められたような浄福感はまた格別でした。
  • よこすか芸術劇場は2階から5階までがヨーロッパのオペラ・ホールの桟敷席みたいになっています。わたしは3階の下手にいましたが、とてもみやすく居心地がよくって。舞台セットは音符をあしらったアール・デコ調がすみれ色の照明に映え、濃紺に沈んだバックから浮き立っています。会場のヲタヲタしさを脳内で消し去ると、なんだかジャズ・コンサートでもはじまりそうな感じがします。実際、ジャジーな男性ボーカル曲の導きによってひとり足りないまま娘。が登場し、『SEXY8ビート』は幕を開けました。
  • 高橋愛は昼公演でケガした足を病院で治療中、本人は出ると言ってるから、と途中合流の予定を最初のMCで吉澤が告げます。そうか、病院からとんぼ返りしてくれるんだ! 元気が出たとたん(無理をするべきじゃないだろうにファン心理は因果なもの)、この劇場の音のよさに気づきました。こんなに音のいい娘。ライブは、わたしの数少ない体験のなかでははじめてかも。「踊れ! モーニングカレー」なんて、いつになく重低音が心地よくお腹をいっぱいにしてくれました。
  • 「幼なじみ」では、うるおいのある藤本美貴の歌と白を基調にした抽象映像、デコっぽいセットとの調和が、大正モダニズムの空間をそのときだけ現出するようで陶然としてしまいます。ならば、白いドレスの美喜ちゃんは瀟洒な洋館に住む深窓の令嬢でしょうか。「その出会いのために」を大切に歌う吉澤ひとみは、もの狂うほどの波瀾万丈を和らぎのなかに封じこめたような黄色と紫の意匠に包まれています。*1 それがラストの歌い上げで、よっすぃーの抽象画みたいに色彩乱舞と変容するステージ演出が面白かったですね。「通学列車」にも「青空〜」にも「ここにいるぜぇ!」にも、ペシミズム(悲観)にさんざん鍛えられたオプティミズム(楽観)といったものがステージに弾けていました。
  • 高橋愛は7曲目の「シャニムニ パラダイス」から合流したのですが、上手の“音符”に座って歌う高橋と他の娘。とのコンタクトやステージ・ワークの素晴らしさについては、優れたレポがすでに幾つも上がっています。ここで逐一の詳細には触れません。とまれ、大事な時期に迷惑をかけたことがくやしいのか、仲間の気遣いがうれしいのか、泣き虫愛ちゃん全開でした。なのに、ライブの後味に湿っぽさはみじんもなく、とてもカラリとした印象。高橋が足を引きづってMCの列に加わり、捻挫だから大丈夫と明るく報告する様子とか、音符さんに感謝しなという吉澤の呼びかけに、高橋がありがとうと音符のヒゲのあたりに抱きつく姿とか、お尻を寄せあって歌う吉・高の膝の上に小春が乗っかろうとして追っ払われるところとか、なんともユーモラスなシーンが涙のシーンと軽妙なバランスをなしていて。まるで良質の泣き笑いコメディでも観ているようでした。
  • もしも骨にヒビが入っていて夜の舞台に途中復帰できなかったらとか、パートやフォーメーションなどに不確定要素をかかえたまま幕を開けたわけですから、舞台裏の切迫と緊張はあたふたと大変なものだったでしょう。しかし、そういう大変さを極力感じさせない舞台上の連携――たとえば藤本が小さな異変にめざとく気づいて吉澤にアイコンタクトでボールを打ち、吉澤がすばやくレシーブするというような――は、スマートで粋なプロの技でした。娘。のライブ・パフォーマンス自体、上手にへばりつきの愛ちゃんのほうへとフォーメーションをほどいては、また元に戻ってゆく、なんというか自由なパフォーマンスと緊密なパフォーマンスが矛盾しないことであるような輝きをみせてもいたのです。
  • そして、高橋愛は自由のきく上半身だけはダンスも全力プレイで、ときにはもどかしくなってぎこちなく立ち上がったりしながら、そのアンサンブルに交わろうとしていました。ほとんど「奇跡」的に事態が運んだそれらすべてを受けとめて、追い出し曲「ハピサマ」での会場のコールに応えた今夜のもうひとりの主役・新垣里沙の、「目に見えるものも、目に見えないものもちゃんと受けとっています」という、目に涙をためての至言も生まれたのでしょう。

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*1:歌詞とはまったく関係なく、わたしは故アルトマンの映画『三人の女』を連想した。