身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

Hello!ヨッスィー番外編(07年 ※月号)

大好きなタローさんの絵をみにいったよぉ〜!

  皆さんはこのGW、映画を見に行きましたか? スパイダーマン
のコスチュームを着て街を歩くのが夢の吉澤は、レディースデーに
「スパイダーマン3」を見る予定を立てたんです。スパイダーマン
が重さんみたく真っ黒に変身しちゃうんでしょ? 楽しみぃ〜。で
も、ズラーッと人が並んでるよぉって友達からメールが来て、あき
らめちゃった。やっ、吉澤、面倒くさがり屋だから。で、あっさり
予定変更して、敬愛する岡本太郎さんのでっかい絵を見に東京都現
代美術館に行ったんだ。ぽかぽかお散歩日和で、美術館のある木場
公園は白いツツジが満開だったよ。
  この美術館は、展示室もたっぷりと空間がとられていてすごーく
落ち着ける。なんせ、お目当ての絵は横幅30メートルもあるの。30
年くらい行方不明になってたのがメキシコの資材置き場で奇跡的に
発見されたって、何年か前にニュースでもやってたよね。部屋に入
ったとたん、ドスンときた。卵形の人間が黄色と緑と赤の雲の上、
モーニング娘。みたいに顔を寄せ合い、舞い踊っていて、なんだか
浮き浮きと楽しそうで。なのに、獣じみた毛むくじゃらの腕が上方
から右方向に伸びている。その腕に導かれて目線を右に移したら、
人の骨みたいな白いオブジェが群青の闇の中で炎を上げてバクハツ
してるんだ。
  原爆の炸裂という悲しい出来事がモチーフらしいんだけど、絵の
タイトルは「明日の神話」。船も鯨も魚も鳥も、生き物すべてを炎
の舌が飲みこもうとしてるのに、なんというか形にも動きにも屈託
がなくって前向きなの。怒りも悲しみも飲みほし、ゼロから歩きだ
そうっていう意志を感じる。昔のことをあまり覚えていない吉澤だ
けど、この絵のど真ん中でお日様みたいにハジけてる、ぶっとい骨
がみぞおち付近に突き刺さってくるのを感じつつ思い出したよ。小
さいころテレビで見たメキシコの古くからのお祭りを。ちょー不吉
なガイコツの仮面をつけてひたすら踊るんだ。命のエネルギーが死
をもあざ笑って甦ろうとする感じかな。子供心に理科室のガイコツ
模型に惹かれたのも、そんなとこからきてるのかもしれない。この
絵、吉澤はメキシコで見たかったよぉ。いつか念願の世界一周旅行
をするとき、アフリカでゾウの大群を見てボラボラ島でサメの餌つ
けをしたら、メキシコにも立ち寄ってみたい。そんときゃ、テキー
ラ、めいっぱいあおってやる(笑)。
  吉澤は表現する人だけど、娘。に入ったころは自己表現がニガテ
だった。というか、いまだに自己表現というのをどこかで疑ってる。
自己表現って結局、自己愛の表現で終わっちゃう落とし穴があるで
しょ。吉澤の乙女な部分とかメルヘンな部分とか、表現者としては
できれば隠し通したい。やるなら、ひとピンクみたいにあっけらか
んとやりたいんです。ナルシス重さんは愛しくて許せても、ナルシ
スひとみはヤだな。ハートマーク連続で後輩にメール打っちゃう私
だけど(笑)。絵を描くとね、やっぱり綺麗なもの、調和したもの
をすぐに見つけたくなる。この花にはこの花瓶が合うとか、この食
卓にはこのテーブルクロスを合わせると品がいいとか。でも、それ
だと自分の趣味の良さを誇ってお仕舞いでしょ。吉澤はそれをぶち
壊し、引っかき回して先に進みたい。これも一種の変身願望かな。
ファンの温かさはヤバイくらい身に染みているけれど、吉澤が自分
自身のファンであるのは飽き足りないんだ。よく自分の顔にも飽き
ちゃうしね。
  たとえば、食卓を描くとすれば、上品なお花やテーブルクロスと
いっしょにベーグルだろうがゆで卵だろうがテキーラだろうが、お
気に入りのものを好き勝手に放り込む。パーンとやっちゃう。その
混沌のなかで自分のビジョンを、自分の歌を見つけたら、迷わず大
胆にそれを絵にするの。モーニング娘。だって、わが4期の「台風
みたいなチビッコ」とか、異質なものが入ってきたらかなり必死で
コミュニケーションをとろうとする。そしたら、かえってまとまる
ものなのよ。8期のジュンジュンリンリンもそうなってくれること
を願ってる。
  抽象アートといっても、出発点には現実とこすれ合うなにかがあ
るんだと思う。吉澤の場合は、「目」とか「手」というこだわりだ
ったり、喜怒哀楽そのものだったり。現実的な外ヅラがすっかりな
くなっても、絶対に消すことのできないツメ跡の熱さが絵には残る。
画家のアイデアを呼び覚まし、感情を活動させる大元が、うんと純
粋なかたちでそこにひそんでる。現実の光や色を真似て絵にするん
じゃない。ただ、その光や色を思い切り浴びちゃうんだ。すると、
意識の底に世界像がやってくる。あとは、神経ビンビンにして手が
その感動を伝えるに任せてやる……。
  吉澤って「I WISH」に出会って初めて歌詞の意味にグッときたん
だけど、それまでは邦楽も洋楽も歌詞を意識せずひとつの音楽とし
て聞いてきた。ヒバリの歌、スズメの歌、イヌワシの歌と同じよう
に。絵もそういうのと同じなんじゃないかな。川のせせらぎにも、
夕暮れの景色にも、鳥の歌にも人は理解しないで愛することができ
るでしょ! なのに、絵はどうして理解できないと苛立っちゃうの
かなぁ。吉澤にとって、絵は理解することに先立って本性のまんま
愛すべきものなんだ。
    • 以上はフィクションです。『吉澤ひとみ 卒業メモリアル』DVDを観ていて、ピュアなまま人間としてのスケール感がにじむ大人になったんだなぁって感嘆しちゃって。後輩を想い見守る柔らかな物腰のなかで、若い精神がひとところに留まることなく躍動している感じ。今後の吉澤は、「大きなスケールで人生を楽しむ」――そうハロヨシには書かれています。DVDを観て、その言葉を改めてリアリティをもって受けとめられました。そして、「大きなスケール」をブリッジに、吉澤ひとみがリスペクトする岡本太郎岡本太郎がリスペクトするピカソへと連想が進みました。ここにあるアート観に、わたしのオリジナルは一切ありません。『青春ピカソ』(岡本太郎著/新潮文庫)のなかのピカソの言葉を、吉澤ひとみの言葉とクロスさせて勝手気ままにアレンジしたもの。わたしの願望混じりの創意がわずかながらあるとすれば、その交差の仕方においてです。ちなみに、わたしの過去が岡本太郎と交差したのは、幼少期に観た万博の「太陽の塔」くらい。

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