身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

ハロプロ新人公演8月〈昼〉 福田花音

  • 仕事と暑気に羽交い締めされてるみたいな夏、なんとしてもと思っていた娘。10年記念隊コンもオトムギの『違いますシスターズ』も結局、行けなかった。遅く短い夏休みがとれて、駆けつけたのが横浜BLITZでのこれ。席に着くと、眼下の人海にはいましがた逃れてきた灼熱の外気が恋しくなるほどの湿った温気がたちこめているようで、やれやれ2階って天国やんか、という安堵の吐息を連番相手ともらしあうのだった。随所にアラはあれど、今回2回目の新人公演も、そんなまったりした天国気分とともに、すこぶる楽しかった。心に留まったことを、例によって気ままに横滑りさせながら数回に分けて記しておこうと思う。
  • 福田花音のスゴイところは、演技にしろ、ダンスにしろ、歌にしろ、ステージ上で大きく正確に表現しようという意思が全身にみなぎっていることだろう。体はちっちゃいけれど、半身をひねりながらの跳躍にしろ、指先まで神経の行き届いた動きにしろ、花音ちゃんの支配する空間が大きくみえるもんだから、ガタイのでかい隣の子までがそれに引っ張られて必死にならざるを得ないのね。「ハニパイ」「ベベ恋」「ブギトレ」と、今回比較される位置にいることが多かったのは吉川友で、田舎のおっとり少女でダンスが苦手とおぼしき友ちゃんが必死になっているさまは実にみものだった。特に「ベベ恋」。花音ちゃん自身は「ブギトレ」も際だっていた。4人バージョンなのに、Aメロに入る前の序段で、すでに陽気で生きのいい花音のブギウギ・パフォーマンスしか目に入らなくなってしまう。ちなみに、3年前のオーディション時の花音ちゃんは笑っちゃうほどブチャイクな愛嬌があって、「東京ブギウギ」の往年の日劇スター・笠置シヅ子にそっくりなんですよ。
  • 今回の公演では、前回よりずっと声のボリューム感が増してもいた。8月の『千歳月』再演の初日で声が出ていないことを「大反省」したらしく、その自覚と成果が歌にまで現れたということか。2年前の『34丁目の奇跡』を皮切りにキャリアを積みはじめたばかりながら、福田花音はもうりっぱにプロ意識をもった舞台人だなぁって感じ入ってしまう。できる子だから、もっと大きく育ってほしい、とつい未来に向けた注文もつけたくなる。それは……、花音ちゃんの表現するものは正確で、明解で、つかみやすくわかりやすい分“謎”に乏しい、わたしたちがやっきになって解き明かしたくなるような謎の豊かさを欠いている、ということではないだろうか。その辺は実はつくり手の大人たちにこそ問題があって、妖かしにしろ、魂の化身にしろ、つまるところは何らかの重大な岐路に立つ大人を誘導してあげる子供という役どころで、そういう“大人のような子供”の役を「年齢詐称(笑)」とも言われる福田花音に振りたがるのね。かなうなら、わたしは花音ちゃんが“子供”である自分の無意識に問い尋ねるようなリアルな女の子の、役を観てみたい、歌を聴いてみたい。
  • 福田花音はツブログの粒やきコーナーにこう書いていた。「ほんとはね…ずっとずっと(真央の魂が棲む『千歳月』の無時間的な)あの真っ白い部屋にいたいかも…」。でも、そうはいかない。あの部屋を飛び出て「次のチャレンジへ向かう花音&真央です」と。その意気やよし! いずれ、花音ちゃんは表現者としてハロプロという枠をも軽々と飛び出ていくだろう。「つかみやすくわかりやすい」なんて言ってた奴が追いかけてつかもうとしても、カノン(追復曲)のような正確さでその手をすりぬけて行くだろう。きっと、自分の子供心の原点であるハロプロLOVE、安倍さんLOVEの心だけは携えて。
    • 今夜の『歌ドキッ!』、吉澤・矢口デュオの「愛してる」。震えました。余裕のなさと余裕が、不安定と安定が、危なっかしさと安らかさが、矛盾なく溶け合っている吉澤ひとみって歌手の魅力に、降参です。あるいは、ミニスカートと美丈夫ぶりが矛盾なく溶け合っている吉澤ひとみって存在の魅力に。挙動不審になりそうなのを歌いきるまで懸命に抑えていた(ようにみえた)やぐっちゃんが、最終的に目をつぶって半身を預けたくなるのも無理はない。芝居がかってるのに、なんか自然。

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