身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

東京少女 真野恵里菜 第二話 2/14

『さよならお父さん』 監督:堀江慶 脚本:三宅隆太

  • 30分弱の中篇映画みたいな、このドラマを観て数日たつ。思いかえすと、いまだに胸が苦しくなる。要所に流れる「ダニーボーイ」は、戦場におもむく息子を母親が遠くから思慕する曲(元はアイルランド民謡)なのだが、ここでは亡き母への思慕の念を託して印象的に使われている。いや、それだけじゃない。母を介して娘が別れた父を思慕し、父が別れた娘を思慕する、そのひそやかな交情、その限られたひとときの切なさを、庭の木陰あたりから母親が見守っている感じもする。
  • 目の前で恵里菜の絵を描いてるお父さんと、メールの発信者として画面上には現れないお父さん。ドラマのなかの恵里菜には「お父さん」と呼ぶ存在がふたりいる。どうやら前者が、物心ついたころに別れた実父で、後者が10年来、彼女の成長を支えてきた継父らしい。母親は後者、つまり再婚後の夫の元で亡くなっている。今日はその命日。1周忌の祥月命日だ。絵描きのお父さんに「今日は特別な日だろ?」と問いかけられ、庭のガラス戸のへりに手をかけたまま、振り向いてうれしそうな顔をする恵里菜のルーズぎみのバスト・ショットが素晴らしい。その顔がさっと曇る。お父さんときたら、今日はバレンタインデイだろ、デートの予定とかは? なんてのたまって、大切な日を忘れているみたい。貧乏して苦労させたって言うけど、お母さんばかり描いてたって言うけど、ねぇ「お母さんは幸せだったんだよね? 楽しかったんだよね?」。幼少期の記憶をたぐり寄せても確信がない。それが実父を前にした恵里菜のいまいちばんの心のしこり。
  • 娘にそう問われて父は苦しげな笑みを浮かべる。ルー大柴って、こんな抑えた演技ができる味のある役者だったのか、といまさらながら驚く。失礼しました、と言いたくなる。恵里菜が絵のモデルをつとめる間、父娘水いらずのゆるやかな、言葉を交わさなくても特別な午後が過ぎる。いつの間にか陽の落ちた、天窓のある吹き抜けの廊下の一角で、恵里菜は晩ご飯を気にしながら、お父さんの背後にまわってカンバスの絵を覗く。「あっ、お母さんだ!」。真野恵里菜の、そのくぐもった声の響きと表情がいい。山吹色のドレス風ワンピースを着て父の肩に手を添えるミディアム・ショット自体が一幅の絵になっている。茶と黄の諧調で統一された、さみしくてあたたかい翳りの空間。お父さんの描いた絵がモデルの自分よりお母さんに似ていることに対し、恵里菜はさみしさを感じはしても、うれしさが勝っているふうにみえる。やさしい子なのだ。心のしこりがほぐれてゆくのか。
  • でも、やさしさは、ときに残酷さと背中合わせ。少女特有のきまぐれと慎重さで父のフィアンセを蹴落とした『悲しみよこんにちは』のセシールみたいに、父娘ふたりだけの晩ご飯の邪魔をした宿敵、父の後妻に恵里菜は食ってかかる。あるいは、恵里菜の怒りは、大好きな父が再婚をほのめかしたとき、いつもにこやかだった『晩春』の紀子さんがみせる、ねたましさの昏いほむらに近いだろうか。真野恵里菜は怒りのたたずまいにも、口元で芝居をしがちなクセさえ直せばジーン・セバーグ原節子にも通じる……と言ってみたい気高さ、気品がある。
  • うなってしまうのは、たがいに気後れしていた父娘に、ふたりだけの命日の時間を設定したのが他ならぬ父の後妻だと知ったとき、一瞬言葉を失っちゃう恵里菜の怒りの収め方だ。窓辺に寄って庭の雑草が伸びてることをふと話題にする。きりがないからしょうがない、手も汚れるし、と父の後妻が応じる。どうやら彼女はお嬢さん育ちで、その割り切った明るさに父も救われてきたのかもしれない。雑草の抜き方は苦労性のお母さんの得意分野だった。それはいまや父娘だけが共有している記憶。父と後妻を後景にしたがえた窓越しのフォトジェニックな正面ショット――恵里菜は亡きお母さんと共闘、というより同化するように、雑草は雨上がりに抜くといいんですよ、って語りかける。振り向いて悪戯っぽく笑いかける。これで1勝1敗のタイですね、とでもいうように。お父さんがその笑いに同調する。ありがちな回想シーンは一切なし。なんて素敵なんだ。
  • 娘が帰る間際、お父さんが恵里菜6才のときの想い出を差しだすシンプルで感動的な挿話については、ここでは書かずにおこう。ただ、まだ少し描き足りないからまた来てくれるか? と問う父親に、その未完成の絵がほしい、「ちょうだい!」って恵里菜が子供のようにねだる真情の美しさには触れておきたい。亡き母への未練にも、別れた父への未練にも区切りをつけ、ひとつ大人になるために子供のようにねだる。そして、憂い顔のお父さんに、母のように慈しみのこもった笑みを向ける。恵里菜は涙をこらえ、口を結んで新生活へと走りだそうとしている。強い子なのだ。凍てつく橋は、昼どきにお父さんと恋人どうしみたいに腕を組んだ橋である。大きなカンバスを胸に抱えた恵里菜の息遣いが、間近に聞こえてくる。「恵里菜」という娘を思い浮かべずに、もう「ダニーボーイ」を聴くことなどできないだろう。

_____