身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

東京少女2008 全40話 BEST7 その三

二 岡本杏理 #4#5『旅の途中』(前後編)
監督:田沢幸治 脚本:渡辺千穂 ☆40話中、伸びやかで可憐な、青春彷徨篇の極めつけ。中2の杏理はしっかり者だ。2歳のころから父親と二人暮らし。日々の家事もできぱきこなす。ある日の下校時、いつものようにハンバーグ用の食材を買って帰ると、会社員の父の同僚女性が台所に立っている。杏理に中学生らしい生活を、という父の思いもわかってる。父の再婚話に聞き分けよく賛成もした。父との恒例の軽井沢旅行も、いっしょにいかが? と杏理から彼女を誘った。裏表があるわけじゃない。素直ないい子。父には幸せになってほしい。でも、語るに語れない気持ちもあって、それを溜めこんでしまうのだ。このあたりの感情の機微を岡本杏理は役として生きている。素敵だ。杏理は小さな冒険の計略をねる。吹奏楽部(杏理が吹くクラリネットの音色がドラマに組みこまれている)の合宿で軽井沢旅行に行けないことにして、友だちにも教えない一人旅へ。こうしてドラマが静かにうねりだす。杏理は自分を明かさず、家出娘として義理の弟・颯太に近づく。記憶にない母に会いたいのではなく、ただ、母の暮らしぶりや人となりを感じておきたいだけ。父との空隙を代償するように。その暑苦しくない距離感がいい。泊まるところに困って颯太の部屋に潜りこむも、朝、颯太にとっては育ての母、自分にとっては生みの母が起こしにきて、慌ててベッドの脇に転げ落ちるところなんて、すべてが台無しになりませんように、と観ているこっちが慌てふためいちゃう。渡辺千穂の脚本は40話のなかで群を抜いている。端正な演出は木下惠介プロ出身の田沢幸治。すべての登場人物の気持ちを掬いとり、救いだす終幕。風と光のクラリネット。幸福のなかに淋しさがあり、不幸のなかに嬉しさがある。
一 水沢エレナ #3『1日限りのデート』
監督:万田邦敏 脚本:小出豊 ☆40話中、ラブ・ロマンスの極めつけ。記憶と忘却をめぐる淡く切ない青春ラブ・ロマンスだ。ダグラス・サークばり。水沢エレナは、普通の感覚をもった、ためらいがちな女の子を普通に演じられるのがいい。「普通」が難しいのだ。医者の娘のエレナは父の営む病院のロビーで、親友・葉子(石山蓮華)と9時の消灯時間ぎりぎりまで恋バナをするのが日課らしい。エレナの空想のデートコースは、喫茶店ザッハトルテを食べ、ペアルックの買い物をしてサンシャイン60の展望台で街の景色を眺めながら告白、とベタで時代錯誤だ。物語は実に他愛なくはじまるが、これが後段で効いてくる。明日、告白するという葉子のターゲットはエレナの意中のひと宏一だった、という展開にエレナの顔がくもる瞬間、彼女の顔を照らしていた灯りが落ちる。こういう演出の企みは好き。葉子の告白は受け入れられ、ケイタイで葉子におめでとうを言った瞬間、今度はエレナの目の前で急ブレーキ音が炸裂する。宏一が車にはねられ軽い記憶障害を起こす――この嘘のような展開も受け入れよう。これは明日目が覚めて記憶が戻ると、事故後の今日の出来事は忘れている、というこのドラマの「ゲームの規則」の前振りなのだ。エレナは昨日デートの約束をしたと宏一に嘘をつき、車椅子の彼を街に誘う。喫茶店ザッハトルテ、時代遅れのペアルック、サンシャイン60の展望台。黄色いトレーナーのペアルックによって、画面がシンメになったりそれが崩れたりするフレーミングの面白さ。ふたりで共有する時間が忘れがたくなればなるほど、嘘の痛みとともに、明日になればこれをすっかり忘れ去ることの痛切さが倍増する。あくまでからりと乾いた画面でそれを具現する、後半の演出はもはや神ワザか。いつもは他愛ない恋バナの場所で、眠りを忘れたようにひとりたたずむエレナの姿に、まさにいま忘却の眠りにつく宏一の顔が的確無比にオーバーラップする。監督は『UNLOVED』『接吻』の異才、万田邦敏特別な一日の想い出にと撮った禁断の写メの削除……記憶の「削除」や恋の「告白」という主題を、こんなに軽やかな美しさで画面に変奏し得たドラマはかつてあったろうか。

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