身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

魔女ヘケート/藤本美貴

ともに生きてともにほろびる人間の人生がほしい!

「わかった」気になったつもりでも、なにも「わかっていなかった」ことをついに思い知る――。刻々変わる“いま・ここ”の地点から手探りで生きてゆくほかない“ひと”という存在形態をフランツ王子が担っているとすれば、魔女ヘケートは「永遠のとき」の相で人間世界のすべてを俯瞰し、すべてが「わかっている」。人が知りたがり、知られたくないと伏せておきたがる人間界のあらゆる秘密を知っている。もちろんサファイアの秘密も。ところで、この全知全能の魔女は、いったいどんな願望をもつのか? ここが魔女ヘケートという舞台キャラクターのもっともスリリングなところだ。


原作の手塚漫画でヘケートは、悪魔のヘル夫人の娘にあたる。ヘル夫人はゴールドランドをわが領土にするため、サファイアの女の魂を奪ってヘケートに与え、娘とフランツ王子の結婚をたくらんでいる。気の強いヘケートは人間の女の魂などほしくなく、母をあざむいてフランツ王子と逃走したりする。もうひとり、ここに女神ビーナスが登場。ビーナスはサファイアの命をよみがえらせる力をもつが、フランツ王子に惚れてしまい、サファイアに嫉妬心をいだく。『リボンの騎士 ザ・ミュージカル』の魔女ヘケートは、悪魔のヘル夫人・その娘ヘケート・女神ビーナスという3者を合成したキャラクターといっていいだろう。


魔女ヘケートは、人間の魂を取引するキーパーソンとして舞台正面の階段のいただきに現れる。天界と地上界の中間地点みたいな位置から人間どもを睥睨(へいげい)し、彼らの弱みにつけこんで取り入ろうとする。まずは、息子が王になるためなら「魂を売っても悔いはない」という大臣に。階段半ばにいた吉澤ひとみの大臣が藤本美貴=ヘケートの誘惑にひとたまりもなく応じ、魔女の膝元にぬかずくにいたるデュエット・ナンバー「大臣の願い〜魔女」の、デモーニッシュな華やぎを見よ! 邪悪さが渦巻いているのに、ふたりが歌い演じると、透明なまでにイノセントな悲しみが“闇”を介して胸元に染み渡ってくるようだ。


だが、ヘケートは大臣の魂などほしいわけじゃない。サファイアの女の魂を手に入れるための、これは布石に過ぎないのだ。でも、なぜサファイアの女の魂を? フランツ王子にひそかにあごがれているからか。そうではないだろう。ヘケートの願いは、ただ女として愛されること。そこで2つの魂をもつサファイアに目をつけた。ところで、男女の愛は刻々変わる“とき”の移ろいに生まれるものだ。人は愛のはかなさを嘆いて“永遠”にあこがれるが、“永遠”の世界に生きる魔女は、移ろうがゆえのこの一瞬、この一瞬の愛のかけがえのなさ、そのドキドキ感をついに感じ得ない。いわば、魔女ヘケートは永遠の刑に処せられている。永遠の孤独を背負っている。


人間界のことならすべてが「わかっている」ヘケートが、地上の愛のすべてのニュアンスを「感じる」ために地上界に降りたって、「わからないから生きてゆく」人間になりたいと願う。おそらく、それは魔女としてタブーだろう。タブーを犯して、ヘケートは「愛されるより愛する愛」に目覚める。なんて、けなげ! 藤本美貴はベストキャストというほかない。自尊心が強く、際限のない人の欲望につけいる、冷ややかな炎をもつ魔女。けれど、人間界を高みから見下ろすことより、地上に降りてともに生きることを選んだ魔女。
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