身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

ピエール/三好絵梨香,石川梨華    その2

よみがえれ よみがえれ よきひと よきひと。

ピエールがまず歌い出し(この最初のフレーズを歌う三好絵梨香の声は柔和で温かくて素敵だった)、人々のコーラスとなるクライマックス飛び切りのナンバー「葬送」が深々とわたしたちの胸底に響いてくる。サファイアと王妃の脱獄をピエールたちが見送る2幕1場のエンディング・ナンバー「よき日を願って」のメロディがよみがえってくる。ここで音楽的な主題の回帰は、『リボンの騎士 ザ・ミュージカル』第2幕の基底を貫く物語の心棒と有機的につながっている。たとえば“復活”のテーマ。「よき日を願って」で歌われる傾きかけた国や郷里の復興への想いが、「葬送」では逝ける王女(王子)に捧げた復活祈念の想いにつながっている。その思いがけない実現。「よきひと」とはもちろんサファイアを指すのだが、サファイアにとって「よきひと」とはあのとき逃がしてくれた牢番ピエールに違いない。


たとえば“献身”のテーマ。命をかえりみないピエールの献身が、「どちらかが息絶えるまで戦う」フランツ王子との決闘におけるサファイアの“献身”と共鳴してはいないか。衰弱した母のため、女の魂をサファイアが魔女に献上する場を通過して。わたしはそこに役に打ち込む高橋愛の“献身”を(むろん石川梨華吉澤ひとみ藤本美貴も……)加えたいと思う。


「葬送」の美しいコーラスに、魔女ヘケートのパートが加わってハーモニーをなすときの心の震えをどう伝えればいいだろう。「愛される愛」とは、いわば差し出すものより多くを求める愛、償いを求める愛のことだ。「愛する愛」は見返りや結果にこだわったりしない。“無償”でもかまわないという愛。ここで“献身”を“無償の愛”と言い換えてみる。『リボンの騎士 ザ・ミュージカル』という魂の物語は、悪(ワル)でもあるピエールの“無償の愛”(外在的な動機がない)の物語に地の底から支えられ、「愛する愛」に目覚める魔女ヘケートの物語に天の淵から支えられている。魂の物語とは、つねに愛の無償性に関わるもの。一般には“無償の愛”なんて通俗メロドラマ*1 の手垢にまみれたお題目にすぎないが、ついそんな抽象的な概念を使ってしまいたくなるほど、ここでは“無償の愛”が試練によって鍛えられ、ある具体性のうえに幾層にも響き合っているのだ。


「葬送」という祈りのナンバーに聖なるうるわしさが宿るのは、サファイアの無償の行為がもたらす悲劇のカタルシス(浄化作用)ゆえばかりではないはず。そこには、思い切っていえば牢番の聖性も魔女の聖性(!)も反響している。真も贋も、善も悪も、美も醜もふくめこんで、世界が透き通ってゆくようではないか。
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*1:メロドラマはグリフィス以来、映画がつちかってきた基本的な語りの形式だし、歴史的に優れたものも少なくないことを蛇足ながら付け加えたい。