身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

再々見雑感 ピエール/辻希美

いつか見た 愛らしい ほほえみをたたえ。

22日。やっかいな仕事になんとかケリをつけて時計を見たら、もう6時近かった。松浦亜弥のフランツに続いて、結局、辻希美も観逃してしまうのか。しょうがない。遅れに遅れた仕事だもの。でも、辻ちゃんのピエールだけは一度観ておきたかったなぁ。くやしい。机脇の読みつぶした『リボンの騎士 ザ・ミュージカル』の台本をぼんやり見つめる。そうか、ピエールの登場は第2幕から。2幕からならS席が窓口で安くなるんだっけ。お昼の残りのカレーパンを腹に詰めこみ、仕事場を飛び出した。


7時前に着く。1幕が終わる7時20分にならないとS席6000円のチケットは売ってくれないという。仕方なく、歌舞伎町をぶらぶらする。むかし、某誌の編集アシスタントをしていたころ、校了日になるとみんなで歌舞伎町に繰り出し、オールナイトの映画を観てコマ劇場裏のつぼ八で明け方まで呑んだよなぁ。そんなことを思い出す。あのころは食えなかった。でも、わずかでも定収入があった。食えないことの気がかりは、むしろいまのほうが大きいくらい……。


辻希美のピエールは「食えない、食えない」の“く”に力こぶを入れ、吐き捨てるように歌う。チクショウ、チクショウ、と松葉杖でじだんだ踏むように歌う。それだけで、なんだか胸がいっぱいになる。ピエールは、わたしたちと同じ、いわば“普通の人”なのだと思う。生活に追われて「このままでいいのか?」と思わず、つぶやいてしまう普通の人。しょうがない、とため息をつきながら、大事なことを先延ばししてしまう普通の人。


ピエールにサファイアを助ける動機を与えるのは簡単だ。かつて王家に家族を助けられたとか、両親は大臣の悪だくみに巻き込まれて死んだとか。演出・脚本の木村氏はそういう外因的な動機をあえてとっぱずした。徒労感とあきらめの染みついた“普通の人”が歯がみしながら隠しもち、いざというときに思いがけず(命令に逆らってでも)現れる“心映え”をこそ、ピエールの心変わりのさまに託したかったのだと思う。“改心”というのとも違う気がする。もともと隠しもっていた綺麗な心の前景化。辻希美のピエールは、そのことを確信させてくれた。


埋もれているのが少しばかり惜しい掌編『ナマタマゴ』*1 を観ればわかるように、あまり笑わず、あまり動かず、望みを必死で噛み殺して無情の世界を耐えているような役が、辻希美は意外なほど上手い。上手いというより、彼女が演じると陰性の役にシーンと静まるようなたたずまいが生まれるのだ。そういう役を内側から照らし出すような天性の“光源”をもっている感じ。


サファイアと王妃を助けると決心しても、切迫した暗い表情を崩さない辻希美のピエールは、コリンとトロワの協力にちょっと表情を和らげる。そのあと、たしか形見のネックレスを逃亡用に差し出して「お袋だって喜ぶ」と言うくだりだったと思う、地上の悲しみを知る子供だけが浮かべうるような澄んだ笑みを浮かべるのだ。打ちのめされた。嗚咽が止まらなくなった。クライマックス、「よみがえれ、よみがえれ」とまずピエールが呼びかけて厚みを増してゆく人々の祈りのコーラスが、また格別に胸に響いた。


普通の人に宿る神々しさ。それを「奇跡だけどフツー」で名高い辻ちゃんが演じる妙味。グラン・フィナーレでは松葉杖を使わず、何事もなかったかのように出演者全員の「Mystery of Life」にとことこ歩いて参加していた。カーテンコール後にやってみせた、足はほら、もうこの通り、という足踏みパフォーマンス以上に驚かされたよ。
_____

*1:つんくタウンから生まれたなかでは上出来の1本。たぶんTSUTAYAでレンタルできると思います。