身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

トライアングルとシンメトリー Ⅱ

関係図(修正)

  • 「愛する愛」に殉じたサファイアは、ヘケートに魂(命)を返してもらう。悪魔(魔女)に魂を売っても悔いなどなかった大臣は、サファイアに旅立つための命を返してもらう。*1 地上の愛の要諦に気づいた魔女ヘケートは、すべてを見ていた神様から「人間の魂」をもらう。魂の物語のトライアングルはうるわしく円還を閉じる。では、フランツ王子は? ヘケートが「愛されたい」と望んだにもかかわらず、フランツ王子とヘケートはついに没交渉だ。没交渉どころか、間近にいても視線を合わせることすらない。そもそも、フランツ王子には魔女が見えないのだ。
  • フランツ王子は、魂の物語――天とつながるなんてだいそれたことを望む人間と、地とつながるなんてだいそれたことを望む魔女の物語とは、とことん関わらない。そんなこと「私には、なにがなんだか……」の、徹底して地上的な存在だ。けなしているんじゃない。それだけ地に足をつけて生きているということ。地に足をつけ、自信にあふれて生きてきたはずのフランツ王子が「こんなに震えてる自分がわからな」くなる。その空まわりぶりが、とても愛しくチャーミングなのだ。
  • フランツ王子とサファイアのロマンスが導入するフランツ、サファイア、大臣のトライアングル。ロマンスにつきものなのは“三角関係”だろう。女たらしの大臣が王位継承者のサファイアの毒殺を目論みながら、サファイアを女だと暴いたとたん、彼女に図らずも惹かれはじめる。それがフランツ王子との恋のさや当てに……。大臣を演じるのが吉澤ひとみ、フランツ王子を演じるのが石川梨華とくれば、そういう展開にも胸が騒ぐが、それはまた別の話。
  • リボンの騎士 ザ・ミュージカル』では、大臣の計略は図らずもフランツをおとしめることになり、そのことがフランツがサファイアを愛する一方で憎んでしまう契機となる。愛する女と憎む男が同一人物だと気づくこともなく。サファイアの女の魂と男の魂は激しく摩擦し、天をも呪わんばかりになる。魔女がそこに目をつけないはずがない。こうして地上の愛憎の物語は、天と地をつなぐ魂の物語をリードしながら下から支える役目を果たしてゆくわけだ。
  • 王、王妃、サファイア(家族)と、大臣、ナイロン、大臣の息子(疑似家族)の対照性については《前項》で触れた。牢番ピエール、コリン、トロアの3人と、騎士トルチュ、ヌーヴォーにフランツを加えた3人はどうか? 1幕エンディングのなだれるような破局から、いよいよ物語が終局に突入する間の、わくわくするような挿話を成す“友愛の聖三角形”とでも言っておこう。
  • これら幾つものトライアングルのしかるべき配置によって、キャラクター間の対照関係は上図(もとより試案にすぎないが)のようにひとつのシンメトリーをかたちづくる。ミュージカルは他のストレートプレイに比較してショーの要素が強いから“様式性”をとても大切にする。“フォリーズ”と呼ばれる踊り子たちをモダンな幾何学模様のようにみせるため、バズビー・バークレー1920年代末のハリウッドで真俯瞰(真上から見下ろすこと)というカメラ・ポジションを編み出した。ブロードウェイの舞台なら、たくさんの大鏡をバックにダンサーのタマゴたち(そういう役の設定)が万華鏡のように歌い踊る『コーラスライン』あたりがパッと思い浮かぶ。“変容する様式美”が、ミュージカルの魅力の大きな要素なのだ。
  • 今回のミュージカルでは、シンメトリー(左右対称)が舞台空間のひとつの大きな特徴になっている。中央に大理石の大階段があってその中心に玉座が置かれ、背後にはパルテノンみたいな柱が柱廊風に上手・下手の舞台袖いっぱいまで左右均等に並んでいる。天井下の日本家屋では欄間にあたる位置には、バロック風といえばいいのか白い透かし彫りがシンメトリーを崩すアクセントになっている。
  • シンメトリーとその崩れ。それがもっともドラマティックに顕現するのは1幕最後の祝典の場だと思う。が、それについてはこのミュージカルの天地をつらぬく“垂直軸”を考察するおりに触れたい。わたしはそこにいつたどり着けるだろうか。ここで記しておきたいのは1幕6場の宮殿の場面だ。
  • 階段半ばの上手(客席からみて右)側に王妃とサファイア、下手(同・左)側に大臣と息子、その脇にナイロン。やがて、大臣の導きで、階段を見上げる位置にいたフランツがサファイアに剣の試合を申し込む。王はもちろん、階段の中心に位置する玉座にいるのだが、毒剣が王の頬をかすめて玉座の主が不在になるとき、わたしが頭の中でこね回していたシンメトリーとその崩れの“関係図”に、舞台上の人物配置がふと重なり、個人的なことだがひどく心を動かされた。もちろん、この場面はまだ魔女の登場前で、魔女ヘケートが私こそその位置にふさわしい存在よとばかりに、天とつながる階段から降りてきて玉座をしばし占拠するのは、いま少し後のことになるのだが……。
  • 蛇足ながら、西洋においては、右側が公正・正常・秩序を、左側が抑圧・異常・無法を表すそうです。さらに蛇足を加えれば、右側に善があり左側に悪があるというような固定的な価値判断とは切れたひとつの象徴体系として、それを受け止めるなり、距離をおくなり、無視するなり、意味をずらして読むなりするのが、賢明な観劇の楽しみ方だと思います。

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*1:サファイア「あなたの命を奪うのはたやすい。しかしその命を、私はあなたに返しましょう」