身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

新生『スケバン刑事』補遺

『17才』『空中庭園』の“想い出”に向けて。

  • スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』って、なにげに俊才ぞろいのスタッフなんですよ。製作の黒沢満は、松田優作の代表作『最も危険な遊戯』『それから』をはじめ、かつて一世を風靡した東映Vシネマの観るべき作品を一手に手がけている知る人ぞ知る豪腕。やはり『翔んだカップル』を真っ先にあげたくなる脚本家の丸山昇一も、黒沢満さんとの因縁が深い人ですね。撮影の小松高志はいま売り出し中の才腕だし、音楽の安川午朗は『死んでもいい』や『夜がまた来る』で石井隆とタッグを組んで以来、日本の映画音楽畑ではもっとも冴えた仕事をしているひとりだし。安川さんは近作でも、瀬々敬久監督の『サンクチュアリ』というミニマムで張りつめた音楽成果がありました。つまり、今回の『スケバン刑事』は相当気合いの入った企画のはずなんです。
  • 深作健太さんは1作目の『バトル・ロワイヤル』の頃のように、これからはプロデューサー業に徹してほしいですね。皮肉でもなんでもなく、そうやって映画に貢献してほしいと心から思います。つんく♂作詞・作曲の主題歌と挿入歌は? 定番となった映画業界と音楽業界とのコラボは、日本映画の企画を商業ベースに乗せるための、いまやカセみたいなものだからエンディングに流れる主題歌はまあ仕方がないとして、*1 挿入歌はなんとかならなかったんでしょうか。暗闇のなかでスクリーンをじっとみつめつつ聴くと、かくも大甘にきこえてしまうのか。歌謡曲にしろポップ・ソングにしろ、映画と幸福な出会い方をし得た例はいくらでもあるんだけれども。映画と音楽の幸福な出会いを求める気持ちすら、両者に感じられないのが悲しい。たとえば定石ながら、敵に捕らえられ、私刑を受けてうづくまる孤立無援のサキ(松浦亜弥)が、壁の向かうから漏れてくるラジオのチープでセンチなポップ歌謡にほんの一瞬心が動くみたいなシーンはいかが?
  • わたしは、それがどんな欠陥やいびつさをかかえていても、映画のスゴさの前ではひたすらひざまずいていたい。そういう傾きの人間なので、ブログで最初にとり上げた映画がこの新生『スケバン刑事』というのは、やけに居心地の悪い気分です。ミュージカル『リボンの騎士』からひとまずわが身を引き剥がそうとした行きがかり上とはいえ。
  • 思えば同じ東映作品に、石川梨華藤本美貴が共演した『17才・旅立ちのふたり』という映画がありました。時代錯誤の古めかしいお話、一本調子の演技など、けなす要素が満載の映画でした。ハロプロ・フリークの界隈でも誉める人はほとんどいなかったと思います。*2 にもかかわらず、あのフィルムに定着していた、映画でしか切り取り得ない匂やかな日常空間の連鎖*3 を一度体験してしまうと、簡単にほじくれる欠点箇所など放り出し、不幸にも埋もれている映画の水脈をなんとか探り当て、いつか地上に泉のように湧き出させたい、なんてまったくもってノーマルじゃない願望を捨て去ることができなくなります。だれもそれを望まないのに。
  • あるいは、ハロプロとゆかりの深いソニン“演技開眼”の一作だった『空中庭園』。去年公開された日本映画のなかでは紛れもなく逸品中の逸品なのに、豊田利晃監督の麻薬禍によって映画までが貶められるという非常に不幸な公開のされ方をしてしまいました。埋もらせておくのはあまりに惜しい映画です。リベンジの機会がほしい。角田光代の原作の連作集もいいですが、映画は原作を凌駕する仕上がりだと思います。映画に造詣がある角田さん自身も認めるように。ソニン演じる家庭教師ミーナ先生の、鼻先に迫ってきそうな肉厚の肢体が放つ“家庭のなかの明るい異物感”ときたら、一度観ると忘れられなくなってしまいます。
  • これら不幸にも“呪われた映画たち”に気ままに光を当てていくブログにでも横滑りしてくれればと、いまおぼろに思っています。自省をこめて。

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*1:どんなに感動的な日本映画でも、エンディングでいくらか冷めてしまいます。わたしは一向に慣れることができません。

*2:狭い範囲ながらわたしが知るかぎり、『17才・旅立ちのふたり』を本気で誉めたのはわずかに作家の阿部和重のみ。

*3:とりわけ、澤井信一郎監督が助監督時代に見つけ、とっておきのロケ地にしていたという川縁の素晴らしさ。家庭に問題をかかえた藤本美貴演じる理沙が自分の居場所にした川縁のシーンです。