身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

『コトブキ珈琲』 アヤカ&ロビン

少女が珈琲の味を覚えるとき。

  • 夕方、新橋での仕事が早めに終わった。ならばと銀座線と井の頭線を乗り継ぎ、下北沢に向かった。今日を逃すともう観る機会を失うからだ。アヤカとエッグのストューカス ロビン 翔子が客演している「大人の麦茶」の『コトブキ珈琲』。おおいに堪能した。微笑、苦笑、微苦笑、哄笑。いろんな笑いを笑っているうちに、午後のひとときはいつしか日が暮れ夜更けて、切なさつのる空っぽの心にぽっと灯がともると徹夜明けの朝をいつしか前向きに迎えている。その間設定上は数日たっているのに、映画的な溶暗・溶明(フェイドアウト・フェイドイン)の技法によって、レトロな喫茶店がバータイムとなる狂騒と惜別の半日を、凝縮された劇としてひといきに生きたように感じられるのだ。
  • おそらくキャパ2百ほどの手狭な小屋が、入ったときはもう超満員。でも、さいわい3列目の隅っこに案内してもらえた。上手奥に入り口の扉があり、小階段を降りるとテーブル席、下手に向かうと椅子2脚のカウンターがあって、その上に珈琲カップに珈琲サイフォン、ピンクの公衆電話が置かれている。カウンターの奥には、アナログレコードやリキュール類を並べた棚、マスターやウェイトレスが出入りする勝手口がある。店内の壁には『ティファニーで朝食を』『ベティ・ブルー』『バッファロー'66』『ぼくの伯父さん』『勝手にしやがれ』『トレインスポッティング』など、あらゆる年代の名画が雑然と貼られている。トイレの扉には若きデ・ニーロの『タクシードライバー』が。
  • 時代をくぐってきた壁。それでいて、時代から取り残されたような店内。そういうやけに居心地のいい“時の吹きだまり”にたむろする者たち。仲間うちの映画づくりにうつつを抜かしてまともな定職をもつ機会を失った若い奴らが、ただひとりの異性仲間の結婚話にあたふたする、その小波乱が波紋を広げてゆくことになる。最後に撮る映画が、知らないヤツと結婚しちまうあの子の、披露宴の“コトブキビデオ”という切なさ! それがどういう心意気に向かってゆくかの仔細は、ここでは書かない。
  • アヤカもロビンも、それぞれに見せ場のある適役をもらい、舞台上で生気に満ちている。結婚する仲間が連れてきた友だち、という設定のアヤカが“言葉”と“旅”をキーワードにつかむものは? そのてんまつが小さなお楽しみだ。作・演出の塩田泰造は自主映画からCM畑へという道をたどった才人らしく、映像の使い方、映画的処理によって舞台を見せる創意にめざましいものがある。喫茶店の内と外とのつながりを、紗幕を通してみせる見せ方や、回想シーンと現在の融け合わせ方。アヤカ演じるリンの想いの行く末にも、映像が上手く使われている。
  • ロビンは、もう素晴らしいよ。舞台の空気を一瞬で変えてくれる。ミュージカル『34丁目の奇跡』の舞台経験もダテじゃないね。下手袖で物語の“語り部”として彼女がりりしく語り出すだけで、なんだかわくわくしてしまう。ロビン演じるマッコはいわば、成熟できない大人たちという“不思議の国”に制服姿でまぎれこんだアリスだ。コトブキビデオの美術部をまかされ、その短篇の小道具として“鏡”をつくったりもする。もちろん、アリスといっても、大人がイメージする手前勝手な少女像ではない。舞台を射ぬく“まなざし”となって仄暗い大人の世界像を逆に照らし出し、はたまた思いがけなく劇に介入して“時の吹きだまり”を吹き飛ばしてもみせるのだ。小道具は“マッチ”と“珈琲”。フォルムは、うずくまる姿と、めまいのようなアップの映像! 
  • 公演は、次の日曜日、10日までやっています。土・日はすでに売り切れの回も出ているようです。興味をもたれた方は下北沢まで足をお運びください。わたしのこの雑文は、わずかなりともそのいざない役を果たすことができれば、ネットの藻屑と消えても本望です。

_____