身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

外堀を埋めるシリーズ 1

娘。と宝塚のファースト・コンタクト

  • 3年半前、モーニング娘。と宝塚は最初の遭遇を果たす。しかし、TVのエンターテインメントのトップと大舞台のエンターテインメントのトップの競演という鳴り物入りの目玉企画であったにもかかわらず、だれもがそれを忘却のかなたに置いている。ゆえなきことではない。『エンタの神様』第1回、モーニング娘。vs.宝塚の「Mr. Moonlight〜愛のビッグバンド〜」コラボ・ショーは、白亜の大階段・電飾キラキラの宝塚風大セットを組みながら、これぞ本物というめざましい成果を上げたとはとても思えないものだったから。
  • その鳴り物入りのショー創作の実情を明るみにしてしまう意味で、後に放送された『特別版 モーニング娘。と宝塚・舞台裏』はとても面白い番組だった。娘。は春ツアーの振付真っ最中。宝塚も卒業公演やらで双方別々のリハーサルが3日ずつしかとれない。男役同士のリハが前の日にちょこっとある以外、初顔合わせはなんと本番2時間前。そこからはじめての合同練習となる。楽曲はつんく♂がこのために再アレンジしたスペシャル・バージョンと銘打つものの、宝塚専科ベテラン男役・樹里咲穂の見せ場となるソロ・パートが加えられているわけでもない。ひっきょう、娘。のTVの現場に宝塚が遠征、ゲスト出演してみました、という希薄な印象のみが残る皮肉な豪華ショーとなってしまった。無難に固まらないで! TVと舞台、1番同士のぶつかり合いをみせて! とたがいを鼓舞するコレオグラファー夏まゆみの奮戦も、なんとかいいものをという双方のパフォーマーの努力もむなしく。
  • では、ながらく憧れていたひとに求愛されるような異様な興奮を高橋愛ちゃんにあたえた以外、この試みはただ忘れ去られるにふさわしいものなのか。今回の『リボンの騎士』公演が、あきらかにその“失敗”のうえに築かれていることに目を向けたい。娘。の土俵ではなく、あくまで宝塚の主戦場である舞台ミュージカルに、第一線の宝塚スタッフが娘。を引き連れること。そこに専科のベテラン男役・箙かおるが加わり、娘。に合わせるのではなく、あくまで娘。の先導役となること。既成のものではなく、オジリナル・プレイに取り組むこと。さらに、配役オーディションをふくめた半年におよぶ制作、基礎連の期間と、「2ヶ月半におよぶ稽古スケジュール」を組むこと。すべて、娘。と宝塚の“出会い”の対極方向に打ち立てられたものだ。ならば、あの双方に益の少なかった出会いこそ、意義深い“失敗”だったと言ってもいいだろう。
    • モーニング娘。とミュージカルの第一期接近遭遇について、のんびりつれづれに書いてみようと思います。いわゆる“娘。ミュージカル”のことではなく、娘。がミュージカルのエッセンスといかに出会い、はぐくんできたかについて。つんくP、振付の夏さん、PV監督ぐるみ、娘。がミュージカルに急接近した一時期(多くのファンがそれを娘。全盛期のひとつに位置づけています)を、ミュージカル的なるものってなあに? という視点から、いまの娘。へとつながる別角度の小史として改めて照らしだす試みです。日本のミュージカル状況のバックボーンをも視界に入れて。もとより、楽曲や振付の細部に分析的に迫ることも、娘。の歴史に総合的に迫ることもわたしにできようがなく、きわめて個人的な記憶に端を発するものに過ぎませんが。それが『リボンの騎士』DVD発売時に、このミュージカルのまだ語り得ぬ起爆力にもう一度向かう際の、なんらかの基底になってくれることを願って。

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