身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

外堀を埋めるシリーズ 2

ミュージカルが娘。とともに始動するとき。

  • 吉澤ひとみを「男性キャラ」としてセンターに大抜擢した「Mr.Moonlight」は、ネオスウィングを下敷きに宝塚風きらびやかさを思い切りねらった楽曲だったし、夏まゆみもあれは「宝塚のダンス舞台を意識して振り付けた」ものと証言している。宝塚専科の樹里咲穂は男役同士が初対面したとき、リリース当時ミスムンを着メロにしていたことを告白めいた軽口にして吉澤ひとみを喜ばせていた。宝塚とのコラボのしくじりはともかく、「Mr.Moonlight」自体はミュージカル的アプローチによる娘。楽曲×パフォーマンスのひとつの集大成だったと思う。そのことについては後にもう一度触れることにして、ミスムンPVのイメージからわたしが当時連想したブロードウェイのヒット・ミュージカルに少しばかり目配せしてみたい。つんくPはこのPVを観ながら、「日本のブロードウェイや」とハッタリ半分の大口をたたいていたのだが……。
  • 摩天楼の夜景と満月。書き割り風のCGなのか、1920〜30年代のアール・デコっぽくもあり、未来都市っぽくもある意匠をバックに、ビッグバンドをしたがえて娘。が歌い踊るミスムンPVを観ていると、ミュージカル『ソフィスティケイテッド・レディーズ』へと想いが横滑りしてゆく。ビッグバンド・ジャズの巨峰デューク・エリントンに愛と讃辞をこめたバラエティ形式のミュージカルだ。ネオスウィング・ブームの一貫なのか知らないが、80年代にブロードウェイで大ロングランし、その後、日本にもやって来た。日本に来るブロードウェイ・ミュージカルは演者の質を落としたものも少なくなく、一律にありがたがるのがバカげているのは重々承知。だが、この日本公演はグレッグ・パージという当時最高に生きのいい黒人ダンサーが随行し、ブロードウェイそのままの主役を張ってくれたのだ。
  • わたしはその公演を観て胸を射ぬかれた。グレッグ・パージのタップダンスはアドリブの魔法とでもいいたいもので、こちらの心臓めがけてビートで会話しかけてくる。足を打ち下ろすタイミングの予想をひょいとハズして、それがぴったりツボにはまる。気持ちいい。ひとつひとつのステップにこちらの体が反応して、なにが可笑しいのかわからないまま笑いがこみ上げてくる。緩急自在のタップの律動に客席の四方八方がくつろぎながら応答しはじめる。ビッグバンドによるエリントンの名曲がそこに連動する。タップダンスとジャズが黒人の身体感覚にともども根ざしていることが、不意に得心される。舞台では20〜30年代を思わせるニューヨーク・ハーレムの風物詩が繰り広げられ、それがまるで目前の出来事のようにエモーショナルに迫ってくる。劇場全体が音楽とダンスの宇宙になる。
  • ミュージカルの本場の芸の力を改めて思い知らされる体験だった。一流エンターティナーのひとつのステップが劇場空間に波及してゆく、ミニマム(極小)からマキシマム(極大)への遠心力。幼い頃からつちかわれた身体感覚ぐるみの技芸の力によってミュージカルが作動するものなら、日本のミュージカルがそのレベルに追いつくのはまだまだ遠い先のことだなぁ、と当時のわたしは思った。それには日本人の大方の喰わず嫌いを解消するくらいには、ミュージカルの裾野が広がらないととも。たぶん、ブラジル・サッカーにサッカーの本場の技芸の力や、ブラジルと日本の彼我の差を思い知らされるのと似たような衝撃ではなかったか。
  • あっ、ここにミュージカルの萌芽がある、と以前から気になっていたモーニング娘。のパフォーマンスを意識したのは「I WISH」のPVだった。夢の城をはるかにのぞむ街の端っこ、その一角の「約束の場所」に娘たちがひさしぶりに集う。ホントの気持ちを確かめ合うために。街には花屋やクリーニング屋やホットドッグ屋、有閑夫人や街の女や新聞配達の少年がいて、サイレント・コメディ風のコントを繰り広げている。娘。は、街に生きる者たちとスターのタマゴの一人二役。そんななか、配達に疲れて自転車を押す安倍なつみの新聞少年が、広場で踊っている娘たちにでくわして、ふと体がリズムをとってしまうのだ。
  • たとえば、寒風つく雨の日の配達、レインコートのなかまでがびしょぬれになると、感覚がしびれて指を動かすこともできなくなる。なつみ少年は新聞の束のなかにかじかんだ手を突っこみ、わずかな暖をとるだろう。もう立ち往生して泣きたい気分。そのとき雨がやみ、雲間から朝の太陽が顔をのぞかせる。雑草の葉っぱについた朝露がキラッと光る。そのしずくの光に感応して、泣きたい気分が小さな悦びにとって変わる。思わず鼻歌をくちづさんでしまう。レインコートのしずくを飛ばして踊り出したくなる。そんな哀歓の一瞬の変化に通じるようなミュージカルの芽吹きを、配達に疲れた少年が踊り出そうとする瞬間、感じた。なつみ少年の感応力が花屋やホットドッグ屋や街の女にも広がって、いまにもみなが踊り出しそうな。
  • 日常の小さな変化に感応した小さな喜悦感によって歌がはじまり、ダンスがはじまり、世界の表情がダイナミックに変わろうとする。そのミニマムな一点から、ミュージカルはひそやかに始動する。それから冬を越した春、娘。は“ミニ・ミュージカル”と銘打った春コンでの『あこがれMy Boy』を経て、はじめてのミュージカル『LOVEセンチュリー』に取り組むことになる。その「最後のショー」にフィーチャーされた歌曲こそ「I WISH」だった。

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