身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

外堀を埋めるシリーズ 4

娘。から湧きでる“ミュージカル”に包まれて。

  • 21世紀最初の春、中澤裕子卒業はいろんな娘。特番の果実を落としてくれた。その充実ぶりは他のメンバーの卒業・脱退を見まわしても空前絶後のものだった。フジの『中澤企画またの名を辻SP』、テレ朝の『春満開! 娘。10人裏表SP』、日テレの『モーたい第1回SP 中澤卒業式他』。そして真打ちがBS-2スーパーライブ『中澤裕子ファイナル! モーニング娘。ベストライブ』。
  • 『娘。ベストライブ』はASAYANをこの春飛び出したばかりのタカハタ秀太:演出(構成もタカハタ組の都築浩)によるBS-2オリジナルのスタジオライブだ。ASAYANから生まれた娘。は2年半におよぶASAYANとの蜜月時代を終え、番組とつかず離れずの関係を続けてすでに1年が経とうとしていた。タカハタ秀太とのコラボは、娘。に数々の試練を与えてきた“育ての親”との1年ぶりの再会といえばいいのか。しかも、この再会は一度こっきりのもの。大枠だけ構成をつくる。あとは娘。の歴史と併走してきた者のまなざしが、いかに娘。の“いま”を生け捕ることができるか。そのドキュメントの感度で勝負する、というASAYAN功労者のスピリットが娘。としなやかに斬り合う希有の番組となった。
  • 中澤裕子辻ちゃん加護ちゃんの本番での私語を叱る、ってところから大胆にはじまる立ちトークからして、出演者と演出サイド双方が勝手知った気のおけない関係じゃないとあり得ない。えっ、これNHKの番組? とまず驚いた。この最初の一撃は中澤裕子がメンバーひとりひとりと対面する座りトークとも連動し、「(裕ちゃんに)ちゃんと認めてもらいたくて必死になってやってきた」と打ち明ける吉澤ひとみとか、「このチャンスを自分のものにと思えば思うほど不安になる」と訴える石川梨華とか、その苦しげな眼をみるだけでこっちは激しく心を動かされることにもなる。「後藤を理解するのに時間がかかったけど、すごくいまは好きやね。可愛いなと思う」と裕ちゃんに言われて涙の関がこわれ、鼻をクシュッとさせ、口をフーッとつぼめる後藤真希独特の子供っぽい仕草とか、忘れられるものではない。
  • 寄るときはフレームをはみ出す勢いで寄り、引くときはフォーメーションを一望できるくらいに引く。安倍なつみ飯田圭織中澤裕子という元メン3人と彼女たちのデビュー時の5人の歌を交えつつ、当時の現メンバー10人の歌へと移行してゆく「モーニングコーヒー」では、アイコンタクトという視線劇を見落とすまいとするカメラワーク、カッティングの妙味をみせてくれる。最後の収録曲「I WISH」では、ノーマルなショットの切り替えに加えて、1台のカメラがバックにいることの多い中澤の表情を克明にフォローし続ける。娘。として中澤最後のスタジオ収録というから、撮影はツアー中のハードスケジュールのなか突貫作業みたいに行われたのだろう。けれど、現場に流れていたのは、長期取材の蓄積があるつくり手の愛情と、それに応えようとする娘。たちの気迫が融合した、かぐわしく濃い時間だったに違いない。
  • そのスープカレーみたいにかぐわしく濃い時間に生まれ落ちたのが「愛の種」のパフォーマンスだ。手売り5万枚完売の“奇跡”を語り合う安倍なつみ中澤裕子トークを受けるかたちで、飯田圭織を加えた元メン3人が横一列に椅子に座る。そう、これって特別の歌だよね。あの頃家族以上につねに一緒だったね。(顔をしかめて)なあっ。なんて顔すんのよ、あんた。思い出話に興じ、軽口をたたき合う、その笑いさざめきの渦のなかから歌がこんこんと湧き出してくる。そんな歌い方だった。
  • ミュージカルは、アメリカという土壌がヨーロッパ産のオペレッタやレビュー、黒人発のショーや寸劇を溶け合わせてつちかい、1920年代に花開いた。何度も書いてきたが、その劇形式をつづめて言えばこうなる。思いがけない感情の高ぶりや悲喜こもごもに交わされる言葉が、自然発生的に歌となりダンスとなり、その想いのほとばしりが周囲の人々をも感化し、舞台空間という世界を一変させてしまう劇。ならば、BS-2『中澤ファイナル』の「愛の種」は、ミュージカルの原初の恍惚につらぬかれた極上のパフォーマンスだと言ってもいいんじゃないか。デビュー以来、これまで「愛の種」は一度も歌ったことがないという。タカハタ・ディレクターと娘。が出会い直してこその一回限りのナンバー。リーダー中澤裕子が卒業するこのとき、娘。がどう変わってゆくのか娘。自身がわからないその切っ先に立って、「愛の種」を歌う幸福感が、ひとかけらの淋しさとともにそこにあふれかえっていたのだ。
  • 思い切りリラックスした3人の歌と振り、間奏の間のちょっとした言葉の交わし合い。ほどなく中澤裕子が感極まってくる。気づいた飯田圭織が中澤の手をそっとにぎる。ふたりと胸の奥を響かせ合うように、安倍なつみが泣き笑いの顔になる。ひととひと、役と役の濃密な関係性からくるこの感応力こそ、ミュージカルの肝(きも)だと思う。世界という関係の網の目に向けて心が感応し、それが歌やダンスとなって発露する。これをわたしはミュージカルの“初期衝動”と呼んでみたい。いまの娘。メンバーもすぐれてこれをもっている。元メンからいまの8人にいたるまで、娘。が継承してきた大きな財産のひとつ。ミュージカルにおいてはいうまでもなく歌・ダンス・芝居、三位一体の“芸の力”がとても大切だが、この初期衝動こそが芸の力に先立ってミュージカルを始動させる。そして芸の力とともにミュージカルを活気づける。それはときに娘。のライブを真っ白にもピンク色にも、黄金色にも青空色にも染めるだろう。
  • 裕ちゃんとなっちとかおりが手を取りあって、いたずらっぽくバンザ〜イするところでステージの一場が終わる。娘。の歴史と、いま・このときの歌ごころが層をなして溶け合った、それは“ミュージカル”な至福のひとときだった。

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