身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

外堀を埋めるシリーズ 5

娘。“ミュージカル・ナンバー”の不朽の破壊力。

  • 2〜3ヶ月に一度くらいのペースでリリースしてきた娘。シングルだが、2001年7月の「ザ☆ピース!」は前作の恋レボから7ヶ月以上経過している。まさに満を持しての登場。それだけに、待ち焦がれるファンのみならず世間的な期待の大きさが感じられた。TBSのニュース・バラエティ『ブロードキャスター』に、新曲ができるまでのドキュメントが取り上げられたのもその現れだろう。この番組をとおして「ザ☆ピース!」にはじめて触れたときの興奮もまた忘れられない。
  • 番組は「ザ☆ピース!」レコーディングの舞台裏と、石川梨華がはじめてセンターをとったPVの模様をつんくPに密着しながら伝えるものだった。観ていると、この新曲が『LOVEセンチュリー』を通過したつんくPと娘。のミュージカルへの取り組みあればこそ、結晶したものだということがよくわかった。初ミュージカルに取り組むために“にわか勉強”したのか、それとも以前から好きだったのか。つんく総合プロデューサーがミュージカル映画、とりわけハリウッド黄金期のミュージカル・コメディから音楽的・ビジュアル的なネタをいただこうとしていることがニヤリと感得できるのだ。
  • 1920年代後半、つまりアメリカ中が好況に沸いたローリング・トゥエンティーズもいよいよ終焉を迎えようという頃、サイレント映画が音声を得るとハリウッドではミュージカル・レビュー(アメリカナイズされたレビュー)が盛んにつくられ、またたく間に人々に広がった。そして足を内股にしてキュッと跳ね上げるあの独特のダンスとともに、当時流行のチャールストンが、映画中の人気ナンバーとして盛んに取り上げらた。*1 そのチャールストンがピース・ラップに続くイントロの飛翔感や、スキャットを生かした華やぎの間奏として「ザ☆ピース!」の音楽的エッセンス、つんく風に言えば「うどんの具」になっていることは周知のとおりだ。
  • さらには、あの水兵さんルック。1930〜40年代のハリウッドはミュージカル・コメディの全盛期で、フレッド・アステアジーン・ケリージュディ・ガーランドといった歌い踊れるアクター(アクトレス)にして最高のエンターティナーが活躍していた。ミュージカル・コメディというジャンルには、“水兵もの”とくくり得る一群がある。『艦隊を追って』『錨を上げて』『姉妹と水兵』『踊る艦隊』など。「ザ☆ピース!」PVは、この“水兵もの”を自由に参照した成果としてある。そのポップな色遣いなどを観るとたぶん、“水兵もの”を代表する49年の『踊る大紐育(大ニューヨーク)』こそ最大の元ネタといってもいいだろう。
  • 水兵の悪友トリオが束の間の休暇をもらい、朝ニューヨークの港から陸地に降りたち、三人三様に女の子と恋をして翌朝また艦に帰っていく。『踊る大紐育』にかぎらず“水兵もの”ってのはすべからくこういう他愛ないお話だ。けれど、ジーン・ケリーフランク・シナトラが演じる恋の冒険は、NYの港の活気を歌とダンスで躍動的に増幅しつつ、洒落っ気が効いていて垢ぬけている。“モダン・ミュージカル”の元祖ともいわれるゆえん。ちなみに、音楽はNYにゆかりの名指揮者にして、のちにあの『ウエスト・サイド物語』を作曲することになるレナード・バーンスタインである。
  • 「ザ☆ピース!」PVでは、なんでまた男子トイレ? ってのが発売当時けんけんがくがくされたが、巡洋艦の広いトイレだから男子トイレなのは当然だ。PVメイキングでは娘。が戯れに立ちションの真似事までしていたけれど。海をのぞむ丸窓に白を基調にした空間。カメラが横移動しつつスイング・ドアが開くと、パステル・トーンの裏張りが赤・青・黄と色とりどりに見える。そのリズミックな色遣いは、テクニカラーの傑作である『踊る大紐育』の名匠スタンリー・ドーネンがまさに得意としていたもの。白いシューズの足裏が緑で、娘。がステップを踏むごとにその緑がチラチラ見えるのも色のアクセントとしてとっても粋(いき)だ。「ザ☆ピース!」PVは海景色などずいぶん安っぽいCGだが、その海が嵐去って夕景となり、丸窓から差しこんだ西陽によって真っ白なトイレが黄金色に染まってボールルームと化す空間の変容ぶりなど、ミュージカルを思い切り呼吸していてうれしくなる。赤いスカーフに水兵姿、男っぷりのいい安倍なつみ吉澤ひとみらもそれに同調し、黄金色のレビュー・ダンサーに変身してソング&ダンスに興じるのだ。
  • つんく指揮の下、娘。9人全員にフルコーラスを歌わせて「いいとこ取り」してゆく贅沢なレコーディング。ブースのなかで、サビはユニゾンになったんですか? と後藤真希つんくPにかまをかける。ううん、割ってあるよ。誰がサビのパートを歌うのか、娘。内のひそやかなライバル心をも心地よく感じながら、娘。×つんくP(×ダンス・マン×夏まゆみ)がたどり着いたファンキー・ミュージカル・ナンバーのひとつの完成に立ち会っている気分だった。

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*1:1960年代のカリスマ・モデル、ツイッギーを主演にして後に撮られたケン・ラッセル監督のイギリス産ミュージカル『ボーイフレンド』に、チャールストンを織りこんだ当時の旧き良きミュージカル・スタイルが愉快に復活していた。