身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

『外は白い春の雲』前田憂佳

あの娘のいる窓のこちら側と向こう側。

  • 花音とロビンは『34丁目の奇跡』で共演して以来の心の友。親友ではなく「心友」だと花音は言っていました。そのふたりが誘いあわせてエッグ仲間の前田憂佳が出演する大人の麦茶公演『外は白い春の雲』を観に行った、「とにかく、すごぉく面白かった」と花音ちゃんの《ツブログ》にありました。花音と憂佳はお芝居とブログのキャリアを競いあう新中一コンビ「ゆうかのん」のよきライバル関係にあります。ロビンと憂佳はオトムギ客演組での先輩・後輩の関係ですね。
  • わたしはその『外は白い春の雲』の初日に行くことができました。オトムギの舞台はロビンが出演した昨秋の『コトブキ珈琲』を観て以来です。花音が言うように今回も笑いの絶えないお芝居で「すごぉく面白かった」。芝居がはけるとすぐ仕事場に舞い戻りました。で、1週間どっぷり仕事漬け。舞台の細部は記憶からすっとんでいます。メモもとっていません。*1 でも、花音ちゃんの更新に刺激を受け、初日ならではの観劇体験を感想として書き留めておきたくなりました。ネタバレはがんがんしますが、残すところ千秋楽、「下北沢に遊びにきてくださいね」(憂佳)の呼びかけに最後になって応えようという方のための最低限の配慮はするつもり。
  • 昼は喫茶、夜はバーという『コトブキ珈琲』の、時間が降り積もったようなレトロ空間とはうって変わり、『外は白い春の雲』の舞台は空色と白色(あるいは灰白色だったか)のあわあわとした抽象空間です。物語はまず、とある病院の医者・アマノ先生のモノローグにはじまります。ペースメーカーの患者がいるので携帯は切ってくれという軽口から、この先生が意外と軟派で水商売に詳しいことが伏線として提示され、入院患者の近過去のエピソードへと逆回転するように移行してゆきます。過去1から過去2、過去3へと暗転と音楽を駆使してさかのぼり、現在へと返ると物語の導入部がすっとつながる、という舞台演出の切れのよさが心地よく、塩田泰造という才気ある演出家がインディーズ系の映画出身であることを思い出させてくれます。
  • 物語の設定はこうです。ビルの窓ふき職人ウシさんが、ビルの7階に位置する喫茶店のウェイトレス三宮さんに片想いします。窓越しに見合った彼女の目に射ぬかれてしまって。ところが、当の三宮さんは自動車教習所のキョウカン中原に恋しており、中原もまた三宮さんが嫌いじゃなさそうです。三宮さんの初デートは、中原の愛車を運転させてもらいながら隣でこのキョウカンの特別指導を受けるという、彼女にとっては最高のシチュエーション。なのに、前方に飛びこんできたひとをブレーキをかけ損ねて撥ねてしまう。その撥ねちゃったひとこそウシさんで、いままさに病院に担ぎこまれたというわけです。
  • こうしてビルの窓の内側と外側にいて、一瞬視線を交わしただけの女と男がアマノ先生の病院で出会い直すことになります。その間、空色と白色の抽象的な舞台空間は、大小の箱馬をすばやく配置換えしながら窓際の棚に見立てたり店内の椅子に見立てたり病室のベッドに見立てたり、窓を介した宙づりの空間をシーンごと自由自在に表現してゆくのです。三宮さんとその同僚がつとめる喫茶店と、ウシさんとその同僚のいきつけの食堂が、舞台の下手と上手、空気を隔てただけの同一空間に現れて、おのおのの会話を同時進行(映画でいう平行モンタージュ)させながら、窓を拭くという一瞬の動作が、ふと心が通いあうように(それが男の勘違いであるにしろ)窓をはさんだ内外双方でシンクロする――そんなキュンとくるような演出もありました。
  • さて、どこか危なっかしく子供っぽくもある大人たちのふるまいを、前田憂佳演じる年少の患者・理央はつぶらな瞳に映して見守る“小さな目撃者”として登場します。持ち前の好奇心いっぱいに、ちょっと背伸びする恰好で。事故の第一目撃者である理央は、彼女にとって真新しい大人の世界に踏みこむ権利を得て病院を駆けまわる。そして、純情ゆえにねじくれてしまった大人の切ない恋模様をハラハラ見守りつつ、おしゃまな子供の知恵でなんとかそれを解きほぐしてやろうともするのです。初舞台・初日の特別な空気ゆえか、ときにきわどい艶笑コメディともなる状況への、思春期前の女の子ならではの想像力ゆえか、見せ場見せ場でその都度ほおを火照らせる前田憂佳の「緊張・緊張・緊張・・ドキドキ・ドキドキ」感が、きわきわの演技に巧まざる相乗効果を生みだします。理央のドギマギとした一挙一動に、小劇場の観客席全体がゆらゆらと笑いさざめき揺れるんですから。理央=憂佳の感情の清新ななまなましさに顔を直視できなくなってふと視線を落とすと、ギンガムチェックに動物柄のパジャマからバンビのようなふくらはぎと足元がのぞいていて必死に舞台を踏みしめている。そのことにまたドキッとなりもするのでした。
  • オトムギの芸達者な役者さんのように前田憂佳に大きく演じることを求めなかった、演出の塩田さんのお手柄もあると思います。「憂佳の役は『すっごく憂佳』。憂佳を知ってる人ならきっとみんな思うはずです♪ いつもの憂佳も理央ちゃんと同じかわいさなんですょ」と花音ちゃんが言うように、アテ書きによる等身大のキャラクターに名子役ばりの巧みさを求めては、この唯一無二の清新さはあっという間に消えてしまいます。芝居の間をまだコントロールし切れていないとか、“小さな目撃者”である理央が自分をふり返っての、もうひとつの決意の物語が演じ切れていないとか、その時点での課題をあげることはそんなに難しいことではない。でも、初日の舞台に立ち会い魂を持っていかれた体験には、前田憂佳というひとつの“未完成”が生きた一度かぎりの時間のなか、息ぴったりの劇団組との綱渡りみたいなアンサンブルの妙味があったのです。
  • 『コトブキ珈琲』でロビンの演技に打たれたときにもそう思いましたが、塩田さんは思春期を生きる者ならではのイノセントな、ある種異質な“まなざし”を成熟できない大人たちの“嘘から出たマトコ”の物語に導入し、その劇空間を冴えざえと照らし返すことがとても上手い演出家です。塩田さん自身、そういうまなざしを心の片隅に保持している方なのでしょう。ウシさんと病室が同じになった伝説の窓ふき職人ランデブーという濃厚キャラがいて、いまは不健康のカタマリとなり食事制限を厳命されつつも醤油の禁断症状が出てケッサクな大騒動を起こすのですが、彼の「逃げた恋人」アリカが物語の後段になって登場します。このアリカ役の北原愛が、ゆえあって水商売から女囚へと身を落とした“汚れ女の無垢”ともいうべき異質な魅力を発散していて場をさらうほど。そばでみるとうなじや胸元がやけに色っぽいCM出身の彼女もまた、この日が初舞台なのです。アリカのトレードマークである黄色い風船を媒介した、彼女と理央という一見正反対な者同士の内的なつながりが、さりげなくも心に残るものでした。憂佳ちゃんは舞台キャリアの出発点において、つくづくいい演出家との出会いに恵まれましたね。
    • 新宿厚生年金会館にて今夜はじめて℃-uteのライブ・ステージを観てきました。長い四肢をめいっぱいに使った矢島舞美のソング&ダンス・ソロ『夏DOKIリップスティック』と、ブルガリアのお人形みたいな衣装にお人形風タップダンスを冒険的に取り入れた全員の『わっきゃない(Z)』がとくに素晴らしかった。それに続く『白いTOKYO』も、ナッキー&舞ちゃんが舞台空間をふたり占めした『ディスコクイーン』もすこぶる楽しかった。新しいステージに向けた切磋琢磨がひとつひとつのパフォーマンスにくっきり現れている感じがして、なんともすがすがしい1時間半だった。2階前列に陣取ったBerryzのみんなもさぞ刺激を受けたことだろう。ある意味、芸達者ぞろいの℃-uteの7人が演出家・塩田泰造のまなざしを得て、どんな思春期前の、あるいは思春期まっただ中の物語を生まれたてのホカホカ感で演じてくれるのか。劇団ゲキハロ2nd『寝る子はキュート』も楽しみでなりません。

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*1:こんなことなら台本を買えばよかったが、特注でもなんでもない普通のぺらぺらのヤツで1500円もしたんだよねぇ。映画のシナリオ付きパンフでも1000円あれば買えるし、なんせ『リボンの騎士』は特典付録だったし、ちょっと手が出ませんでした。