身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

『外は白い春の雲』 補足

  • 楽日もぶじに芝居がはねたようですね。よかったよかった。前回、舞台空間を空色と白色と書きましたが、オトムギのブログにあった幕前のスナップをみると、空色とクリーム色の組み合わせでした。なんとか思い出そうとするときに、クリーム系も頭に浮かんだけど、それだと黄色い風船が背景に溶けてしまうよなぁ、と脳内で却下したんですよね。ところが、セットの凹みにもぐって台本かなにかを脇に置き、菩薩ポーズをとって微笑んでる写真のなかの前田憂佳ちゃんは、なんと手に赤い風船をもってるの。えっ、風船の色は日替わりなんでしょうか? まさか!
  • この物語を前田憂佳演じる理央の視線でとらえなおすと、こういう要約ができるかもしれません。嘘の大嫌いな女の子が、自分をはじめて大人扱いしてくれた大嘘つきの大人に導かれ、嘘のなかにも一寸のマコトがあることを発見する物語だと。それは同時に、うすうす子供心に気づいていた自分の病状に対する医者の嘘に小さなマコトを見いだすことでもあるでしょう。そうやって理央は大人の嘘をゆるし、小さな成長をとげるのです。
  • ここで波紋を呼ぶ“嘘”の実態とは、窓拭き会社の社員が現場で一心同体になって働く同僚のため、入院したこの友が片想いする女を、弱味につけこんで病室の「奴隷妻」に仕立てるというきわきわのもの。これを切なくピュアな後味がのこる大人のコメディとして成立させちゃうんだから、作・演出の塩田泰造は相当のワザ師ですね。病室で体を拭いてもらう「清拭」という儀式をSEXの暗喩としてデフォルメしたシーンなんて爆笑の渦でした。もちろん、そのとき理央=憂佳は舞台袖にはけているのですが、観客として花音とロビンはいっしょに爆笑してたのか、それとも内心ドキドキしながら大人ぶってこのシーンを観ていたのかなぁ、なんて考えると可笑しくなります。この後に続く夢のシーンがまた、痛切な余韻をのこして素敵なんですけどね。
    • うちにも今日、待望の『Hello! ヨッスィー』が届きました。Amazon初版限定のポストカード、アンドロギュヌス吉澤ひとみの、硬質な色香に息を呑みます。カバーをとったオモテ表紙、大事なひとことを言いよどむ一瞬の静けさ、とでもいいたいモノクロームのアップショットには、全身がざわざわしてきます。わたしもここらで、エッグから娘。のほうに、吉澤ひとみのほうにシフトチェンジいたしましょう。ここんとこ、とみに映画が充実していて(とくに、春先からフランス映画と日本映画のミニシアター系が質的に絶好調)、『神童』と『あしたの私のつくり方』の成海璃子の大物女優ぶりとか、書きたいこともいっぱいなんだけれど。その前に、GW進行のお仕事を片づけなければなりません(片づくのか?)。

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