身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

ハロプロ新人公演8月〈昼〉 真野恵里菜

  • ポッシボーの歌える二人組・秋山えりかと橋本愛菜を、いしよし役のツートップに迎えた今公演の「鳴り始めた恋のBELL」で、真野恵里菜が歌ったのは自分のパートだけだったか。わたしの観た昼の公演では、緊張していたのか高音が出ず、ステージ上に声の消失点をつくってしまった。真野ちゃんの見せ場はほとんどこの曲に尽きていたので、本人もきっと悔しかったろう。それでも彼女はステージで目立つ。チャームポイント「ぱっちり二重の目」を強調してピースサインを目元にかかげたポーズ。アッアァンの吐息&ねらい撃ちポーズ。はっしとこちらを見据える、りりしい姿態が目を楽しませてくれる。中性的な面立ちもどこかノーブルで「舞台映え」するのだ。真野ちゃん自身「舞台にも出たいです」と、お芝居への意欲をみせている。それもいいが、そこに居るだけで映える若さの気品を、大スクリーンでわたしは観てみたい。
  • 真野恵里菜は、花音・憂佳・紗季、それに彼女を「まのてぃん」と呼ぶ是ちゃんら“1期”のエッグメンバーに比べて、2年ほどキャリアが浅い。昨年秋冬の娘。オーディションでようやくわたしたちが見知った吉川友と比べても、「彗星のごとく」の印象が強い。その印象と彼女の中性的な品のよさからくるわたしの妄念にすぎないが、『ベニスに死す』のタッジオみたいな役を与えてみたい。タッジオはヴィスコンティが演出した少女のような少年、稟冽の美少年だ。刻苦して創り上げた自分の美の集大成・交響曲が世の無理解と非難にさらされてしまう初老の作曲家(モデルはマーラー)が、なんの苦もなく創り上げられたその彫刻的な自然美に魅了される。熱風吹くベニスの街の熱病みたいになって、求めもとめて堕ちてゆく。竹宮恵子山岸涼子ら少女漫画の変革者たちが、「彗星のごとく」出現したビュルン・アンドレッセン少年のタッジオに夢中になり、それを自作に取りこんだりした。
  • 「ベニスに死す」は、70年代の公開時はごく限られた評判だった模様。それが後年日曜洋画劇場でO.A.されるやタッジオ人気が一気に広がり、わたしは超満員のいまは亡き大塚名画座でこれを観た。もちろん、ヴィスコンティ人気というのもあったが。高みへの憧れとただれた官能が、旋律と和声の波の重なりとなって押し寄せ、砕けるマーラー交響曲*1 は、その海に体をひたすと溺れるまで出られない。*2 真野ちゃんは、波に洗われ、光を浴びて、少年性へと越境する魔性の少女だ。いまは年齢より幼く見えもするものの、傲岸不遜とエレガンスを潜在的に兼ねそなえた真野恵里菜が、創造者をも震撼させる役に出会い、みずみずしい命を吹きこむ。そんな夢をわたしは見ている。

_____

*1:映画で使われるのは第5番の緩徐楽章

*2:そういえば坂本龍一が、マーラーを思わせる後期ロマン派風のサウンドと沖縄民謡との融合を試みた一時期があったなぁ。