身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

トゥーランドット 5/5昼 安倍なつみ・追補

  • 「せりふの時代」の安倍なつみインタビューを読みました。とても面白かったので少し引用して、とっかかりにしたいと思います。
  私はテクニックでせりふの言い方をつくったことがないんです。
  それよりも「こう思うリューの気持ちがある、だからこういうふ
  うに言って、こういう行動をしてるんだ」という気持ちの流れを
  大事にしています。役づくりはあんまりしてないんです。
  • 「私はテクニックでせりふの言い方をつくったことがない」とは、テクニックに頼りたくないということ、頼るべきテクニックがないということ、ふたつの側面がありますよね。まあ小手先のテクニックに頼ろうとする若手俳優や、ベテランでもテクニックを過信して巧さが鼻につく役者は少なくないわけで、それは女優としての不器用さの自覚であるとともに、女優としての気概でもあるに違いありません。役の「気持ちの流れ」を体感しつつその都度、舞台上で役を生き切ろうとする女優・安倍なつみのあり方は、役者にとってはしんどいこと。同時に喜ばしいことでもありましょう。芝居の鮮度を失わないためにもそこに立ち返るべき初心とでもいえばいいか。「役づくりはあんまりしてない」というのも、ずいぶん思い切った発言です。なっちらしいな。以前、俳優の山崎努さんがこんなふうにわたしに語ってくれたことがあります。
  俳優ってのは身をさらして恥かくのは自分だから、何かにすがる
  んです。何かというのは、演技プランであったり、解釈であった
  り、テクニックであったりね。それを本番で手放すことがいかに
  難しいか! 難しいけど、それが俳優にとっていちばん心地いい
  んですけどね。たとえれば、つま先立ってる状態。つま先立って
  ると、ある刺激があったときにどっちにでも行ける、どっち行っ
  たっていいという瞬間がある。ベタ足で立ってると、ちゃんと計
  算どおりに動くわけでしょ。けれど、役者の計算なんてたかが知
  れてる。そうじゃなくて、かろうじてつま先でバランスとってる
  瞬間の快感ってあるんです。
  • 故・相米慎二監督の遺書とでも言いたい秀作『あ、春』が完成した直後の、ひさしぶりに刺激のある現場、いい映画に出演できてほんとによかった、という充足感にくつろいだなかでのお話でした。「役づくり」に対して、こういう謙虚な、そしてぎりぎり真剣勝負の自覚をもったベテラン俳優ってやっぱり希少だよなぁと感嘆してしまいました。だから、歳を重ねるごとに枯れることなく“悪の華”めいた色気が増してゆくのかと。「役づくり」なんて当たり前のように言われますが、実は諸刃の剣で、それをいったん手放す勇気を促してくれる優れた演出家がいなかったりすると、役者の先入観や計算が透けてみえるせせこましい役に終わりかねないものでもあるのでしょうね。
  • 「役づくりはあんまりしてない」という言い方は誤解を受けやすいですが、彼女にしてみれば役を鋳型にはめるように作りこみたくない、役に対してできるだけ風通しをよくしておきたい、ということだと思います。『トゥーランドット』の舞台上で安倍なつみはどうだったか。権力者には足蹴にされ、愛する人には邪険にされ、身の寄せ場は虐げられた宦官だけという過酷な状況で、リューとして突き上げてくる霊感や、不定型な愛のパッションに身体ごと刺しつらぬかれ、その身体を濾過した生きた言葉を放っていました。感情表現にウソがなかったです。神のごとく役をつくるのではなく、赤子のごとく役に身を捧げていました。安倍なつみはこう語っています。
  音楽とともに役に入っていくような感覚です。歌が流れてくると
  その詩の世界に入っていったり、メロディとともに感情が深くな
  ったり、自然と涙が流れてきたり、感情がバーッとあふれてきた
  り、舞台の上ではそういう不思議な現象が起こるんです。でもそ
  れはやろうと思ってやっていることではない……
  • 思えば、舞台というのはそれ自体、過酷な場です。どんなに役者としてのキャリアの差やランクの差があろうとも、ひとたび舞台に立てば、身ひとつの横一線。いくらあらがっても早くからキャラの鋳型に封じられ*1 、小指ひとつで天高く差し上げられては小指ひとつで地の底に突き落とされ、世間的な評価という点ではこの時代の下層芸人ともいえるアイドルが、まさに無一物のリュー=竜となり、新たなシンガー&アクターとして驚きをもって迎えられることだってあり得るのです。そして、世間一般には届かなかったものであれ、わたしたちはなっちの歌と芝居への取り組みを、その都度いっぱいに感応し、いっぱいに哀歓を伝えてきたひとりのアイドルのスキル・アップの過程を跡づけることもできましょう。山崎努さんの語りの続き。
  だいいち、頭の中に考えたことが再現されても、俳優にしてもな
  んの面白みもない。そのとき、生まれてくるものが膨らんでゆく
  ってのが、やっぱり歓びです。だから、自分のことばっかり考え
  ていてはダメなんですよ、俳優は。だって、こっちの演技プラン
  と相手の役者の演技プランがかみ合わなかったら、どうにもなら
  ない。会話にならない。かみ合わないまま自分で暗記してきた台
  詞を、勝手にお互いに言ってるだけ、なんていまのTVドラマは
  平気でやっちゃってるからね。俳優はやっぱり、その場で相手か
  らなにかをもらってリアクションしないと。だからと言って、な
  んの準備もしないんじゃどうしようもない。いっぱい準備して、
  どれだけ捨てられるかが大事なんです。
  • 「いっぱい準備して、どれだけ捨てられるか」を女優・安倍なつみはどこまで実践できているかどうか。挑戦はまだはじまったばかりです。

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*1:なっちは“キャラ”という言葉に対する違和感をデビュー間もないころから隠さなかった。