身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

シンデレラ 問いかけ、そして大団円へ

これは恋のいたずらかしら?

  • シンデレラ the ミュージカル』のテーマナンバー、ロジャース=ハマースタインの「愛しているから」は、英語題をひもとくと「Do I Love You Because You're Beautiful?」という疑問形になっている。直訳すれば、あなたが美しいから私はあなたを愛しているのか? わたしの英語力では、これじゃ何が眼目なのか、よくわからない。実は、オスカー・ハマースタインII世は先の問いかけをもう一回 “Or Are You Beautiful Because I Love You?”とひっくり返している。メロディに乗せた訳詞ではなかなかその意味の妙味をつかみづらいので、簡潔に訳し直すと――
  美しいから、あなたを愛してるのだろうか。
  愛してるから、あなたは美しいのだろうか。
  • 愛してしまうのはあなたの持って生まれた美しさゆえか? それとも、愛するがゆえにあなたに美のまぼろしを見てしまうのか? という解釈もできれば、見かけの美しさからあなたを愛しているのか? それとも、愛しているからあなたの美の本質が見えるのか? という解釈も成り立つ。多義的。意味が無数に乱反射する。つまり、初めて恋を知った者が「あなた」との距離を測りかねて、とまどい、おののき、嘆息し、身をよじる歌なのだ。夢うつつに揺れながら世界の一変ぶりを感受する、この味わい深い詞の世界を、リチャード・ロジャースは、甘く苦くしっとりと、そこに初々しい恋の自問と哀歓を溶かしたバラードに仕上げている。ロジャース=ハマースタインのコンビネーションの緊密さがうかがえる佳曲。第一幕ではプロローグと幕切を飾るこのナンバーが、第二幕では要所要所で幾度も回帰し、問いを投げかけつつ展開される。
  • 再会シーンの掉尾、高橋愛が高音パートを新垣里沙が低音パートを受けもつ抱擁の二重唱は、さまざまに展開されてきた「愛しているから」のコーダ(結尾部)をなす。シンデレラと王子の、そして役と分かちがたく結びついた高橋愛新垣里沙のふたりだけの空間に、思いわずらった末の万感が、ごく短く歌い上げられる。これは恋のいたずらなのか? でも、愛する心に信をおくと。第二幕の極点にあって、この短さの節度が絶妙。ここでぎゅっと濃縮された若いふたりの恋の成就が、そのままティンパニの連打音に乗り、伝令官のお触れとともに、結婚式の祝典へとなだれこんでゆくのだから。
  • 結婚式の祝典は、本篇フィナーレの華やかな大団円だ。蛇足ながら言い添えておきたい。「大団円」とはハリウッド映画の「ハッピーエンド」に対応するようなミュージカルの約束事で、このミュージカル・プレイの劇構成上のクライマックスは、あくまでふたりだけの静謐な再会シーンにあることを。さて、王宮の結婚式では、継母もジョイもポーシャも「長いものには巻かれろ」式に、しれっと列に加わっている。調子のいい奴ら。けれど、ここで3人の変節をくだくだ説明していたんじゃ、ミュージカル的な流れの密度やリズムをダメにしちゃう。
  • この舞台の継母と姉たちは憎たらしいけど憎みきれない俗物戯画、ワルはワルでも愛嬌がある。愛華みれ田中れいな亀井絵里も遊びのきく役なのが楽しげで、伝令官の久住小春と同じく、劇中のコメディレリーフを担っている。ならば、こっちに来ていっしょに祝おうよ! というのが、ミュージカルの大団円の融通無碍な大らかさなのだ。それらをひっくるめた、かなわない夢の実現。妖精の女王の先導による「愛してるから」の大合唱を浴びて、シンデレラ姫の純白のドレスがきらきら映えていた。

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