身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

ハロプロ新人公演 9月 夜(芝公園)

  • 気持ちがしーんとなる薄暮。太陽はすでに沈んでいるのに、増上寺や東京タワーにかかる雲が層を成し、活きのいい鮭の肌みたいにとろりと色づいている。この風景、覚えてる。メルパルクホールってむかし来たことがあるな。歩をゆるめて、しばし記憶の糸をたどる。たしか、日本びいきのジャズ・ドラマー、エルヴィン・ジョーンズの『至上の愛』ライブだったはず。ゆかりの仲間たちと没後何年だかのコルトレーンにオマージュを捧げた特別な夜。音のいい快適なホールだった。白熱のセッションだった。長らく忘れていた。ここは想い出の場所だ。
  • 地熱を帯びた砂浜深くから卵を割って次々とウミガメの子どもが這い出すように、われがちに立ち騒ぐものが足もとに揺らぎをもたらす。それが立ちのぼって五臓六腑をビリビリさせる。前田憂佳和田彩花のビリビリが「脂肪燃焼」の合図なら、こちらは臓腑燃焼! 去年春の℃-ute公演がそうだった。今年秋、このエッグ新人公演もそう。春以来、MilkyWayHigh-Kingしゅごキャラエッグと、季節ごとにCDデビューが連発される。脇役・準主役どまりだった客演舞台も、ついに主役扱いにまで駆けのぼる。バックダンサーとして画面から見切れてついでに映っていたDVDの扱いも変わり、ベリキュー・コンではひとりひとりが意図的にカメラに抜かれていた。私にもチャンスがある。誰もがそう思いはじめた。そんななかでの、モリサキちゃんいわく「メラメラ新人公演」。3段がまえの簡素なシンメのセットというのは第1回のC.C.Lemonホール以来だろう。
  • 今回、エッグ上昇力の象徴となったのが関根梓12歳だ。家が遠くて休みがち、その他大勢のひとりに沈んでいたせっきーが、前回の赤坂HOPでは「安心感」デュエットでエース級の福田花音に食らいついてオヤッ? この子、案外いいぞ! って目をみはらせた。この芝公園STEPでは「ロマンチック浮かれモード」デュエットで同じくエース級の吉川友に食らいつき、会場全体を最高潮の浮かれモードにしてしまう。次の横浜JUMPでは、いよいよ小川紗季とのデュエット・タメ年決戦か。とまれ、吉川=関根のロマモーは清流を切って川上りする2匹の鮭の涼やかさ、凜冽さを連想させた。関根梓の硬質の声に吉川友がひと刷毛ずつ透明な色を乗せてゆく感じ。声がしぶきを上げてたがい違いに伸び上がる。
  • せっきーの顔立ちは不思議と古風でおマセ、昭和も大正も飛び越えて明治あたりのハイカラ美人に通じるものがある。「雅俗折衷」*1 なんて四文字熟語が浮かんでくる。貴族的なみやびと庶民的な俗っぽさがともども面立ちに宿っている。気位が高くて勝ち気な女の子、悪ガキが一目置く『たけくらべ』の美登利が数えで14だから、ちょうど関根梓の年頃だ。色街育ちで大人びていて淡い初恋の憂いも知るが、いまは大人になることが嫌で嫌でたまらない。樋口一葉が生んだそんな明治の美少女に、せっきーを二重写しにしてみると、なんだか心がざわざわする。
  • ロマモーに続く、つんく♂シアター女子合唱部組の「大阪 恋の歌」も心地よかった。福田花音による関西弁の台詞のイントネーションがほぼ完璧、しかも吉本芸人なんかにはない口調の柔らかさにまず感嘆する。前田憂佳小川紗季福田花音の3トップがメインパートをしめる歌、気心の知れた6人によるダンスには、嘆き節を濾過した室内楽のような親しさと緊密さがある、といえばひいきの引き倒しだろうか。モリサキちゃんがいつもの面白ダンスを封印し、律儀なまでにアンサンブルに貢献していたのも微笑ましい。このメンバーでは、福田花音森咲樹――チビとノッポのの花咲タッグによるコケティッシュな「恋はひっぱりだこ」、ド緊張しぃの前田憂佳がソロとして初めてのびのびくつろいで歌い切った「100回のキス」も、セットリストの前半の見せ場として思い切り愉しかった。
  • 大阪 恋の歌」に続く、和田彩花初ソロの「17の夏」は鮮度100パーセントだった。というより、こうも矢継ぎ早に競争しあい協力しあうエッグの関係性のダイナミズム、充実ぶりをみせられると、あらゆるものを肯定するモードに入ってしまう。それに加えて、だーわー自身に観る側の鎧を一瞬で解いてしまう底ぬけの明るさがある。捨て犬だって捨て子だって、彼女ならおずおずと分け隔てなく受け入れてくれるだろう。オリジナルの桜田淳子なんて目じゃないよねって思う。同じ田舎娘でも、和田彩花は森を駆けめぐる手なが・足ながの高貴な未開人だ。好物は、中身を期待させるからブドウの袋だという。ブドウの袋って身の詰まった皮のことか。それともブドウを詰めた紙袋のことか。彼女にかかれば、おとなしく意味を担ってきた言葉も、野生の言葉として無方向に解き放たれる。「17の夏」のソロ・パフォーマンスも野蛮で優美だった。
  • 吉川友関根梓小川紗季の強力メンバーと華を競った「印象派ルノアールのように」が印象深い能登有沙は、トークでも暴発してくれた。自分の耳を触るクセにかこつけて年下の耳を触りまくるのは、これはもうクセというより嗜好でしょ。のっちは手なずけたつもりが、単に諦めただけと仙石みなみは呆れ風情で切り返す。いちばん触り心地がいいと名指された前田憂佳は、笑みが凍りついて総毛立ちのてい。いちばん嫌がるという吉川友は、やめてください、のっち先輩! の拒否の言い回しがすでにこべにちゃんめいた戯れを含んでいたりする。はたして望みどおりに落とせるか。それにしても、のっち先輩、澄みわたってやけに色めく夕焼け雲みたいな女の子に対し、ずいぶんと耳じゃなくって鼻がききますね。

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*1:本来、文体を表す言葉だが。