身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

オペラ・ド・マランドロ 考察〈破〉

  • 『オペラ・ド・マランドロ』は言うまでもなくブレヒトの『三文オペラ』の猥雑な世界を南米ブラジルに移植すべく翻案したミュージカルだが、産業革命末期ロンドンの魔界に1920年代ベルリン爛熟都市の匂いを重ねた『三文オペラ』もまたイギリスの『ベガーズ・オペラ(乞食オペラ)』をタネ本に改作したものだ。『ベガーズ・オペラ』と『三文オペラ』の間にはブレヒトによる大胆な「切断」があり、演劇の変革をめざしたその切断ゆえに、『三文オペラ』はいまだに世界中で再演が絶えない。*1 劇作上のなにを「切断」したのか? ごくおおざっぱにいうと、観客を舞台の連続的なアクションや単線的な物語にまきこみ、感情移入による一体化を通して劇を体験させる従来型の「劇的形式」に対し、物語の飛躍や分岐によって観客を舞台と対峙させ、その意識を呼び覚まして新たな「世界像」を指ししめす。そういう「叙事的演劇」をブレヒトはもくろんだ。
  • こんなふうに公式みたいに粗雑な縮め方をすると、かえって小難しくなって居心地が悪いのだが、おそらく、変革者ブレヒトがすごいのは公式主義の頭の固さとは無縁なところで、演劇がつちかってきた劇的形式を否定するんじゃなく、むしろそれを徹底的に利用しながら、あるいは劇的スタイルと叙事的スタイルをコインの裏表のように自在に案配しながら、観る人間を悦楽のなかで覚醒させようとしたことだろう。*2 そのいい加減ともいえるしたたかさが時代の爛れと重なって、難産でもあった『三文オペラ』初演を大当たりさせたのではないか。『オペラ・ド・マランドロ』は『三文オペラ』の世界像をある部分継承しながら、物語の骨組みはずいぶん整理され、わかりやすくなっている。どうわかりやすくなったのか? もちろん、ブレヒトがアンチ・オペラ、アンチ・ミュージカルの意味合いを込めた音楽劇『三文オペラ』と、ミュージカル『オペラ・ド・マランドロ』はあくまで別物だ。作品の優劣をつけるのがここでの目的ではない。物語に整合性をつける「わかりさすさ」というヤツにも功と罪がある。
  • 『マランドロ』ではルーの父親シュトリーデルがストレートにあくどい街の有力者であるのに対し、『三文オペラ』のポリー(ルーの原型)の父親ピーチャムはブルジョワ的、あまりにもブルジョワ的な乞食の親玉、という皮肉なひねりが効いている。『マランドロ』では娼婦マルゴが子まで宿してひたすらマックスを愛する情熱一途の可愛い女なのに対し、『三文オペラ』の娼婦ジェニーはマックスを愛しながら、たいした動機もないまま2度も裏切る虚無をかかえた女だ。*3 総じて『三文オペラ』のキャラクターは二面性・多面性をもち、アイデンティティが曖昧なのに対し、『マランドロ』のキャラクターはそれが単純化され、悪党も娼婦もわかりやすく、共感を呼びやすくなっている。背徳的な色男であると同時に薄気味悪い側面をもっていた『三文オペラ』の盗賊メッキも、別所哲也のならず者マックスとなると、アウトローのいなせな男っぷりが単純にかっこいい。
  • 逆にいえばブレヒトには、キャラクターは固定化されたものではなく、それ自体揺らめき変わるものという発想があって、そういう流動的な膨らみは『マランドロ』ではかなり捨象されている。ひとは本来キャラとして固定されるべきものじゃない、その未完成の途上にあるひとをこそ舞台で究めたい、というブレヒトの発想をもっとも継承しているのはルーではないか、とわたしは思う。打算のないおさな妻のようで、軍靴が響く時代の変化を計算している、めざといルー。マックスに甘えっぱなしのようで、しっかり手綱を握っている、したたかなルー。壊れかけた世界の希望たる「掃きだめの鶴」なのか、破壊へといざなうファム・ファタールなのか、とらえどころのないルー。未知の女ルー。「人間なんてラララ……簡単に変われないね」から出発し、もまれもまれて「人間って変われるんだ」という人間観を10代で得た石川梨華が挑むにふさわしい難役、とはいえないだろうか。
  • 三文オペラ』より膨らみのある脇役キャラクターとしては、ルーに追放されて警察側に寝返り、昨日のボスだったマックスの牢番になる、なまいき盛りの若いならず者バハバスが目に留まります。演じる東山義久は、舞台上の存在もダンスもクールに研ぎ澄まされていて、その目元涼しい殺気は映画俳優にしたくなるほど。田中ロウマの密告者ジェニを中心に据えた「ジェニと飛行船」もいいですね。石をぶつけろぉ♪ のリフレインが耳に残ります。

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*1:もちろん、クルト・ヴァイルの楽曲の素晴らしさもその大きな理由です。

*2:たとえば、「ブレヒト」の代わりに「庵野秀明」を移入してみるとわかりやすいかもしれません。あまり詳しくないですが。

*3:『マランドロ』は娼婦ジェニーに代わる密告者として、自分を嫌われ者と思いこむオカマのコメディ・レリーフ、ジェニを新たに設定しています。