身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

ハロプロ新人公演11月 横浜JUMP! 28夜

  • おそらく「新人公演」と銘打たれるエッグたちのラスト・ライブとなるのだろう。あるいは「ハロプロ・エッグ」という概念も消滅するのか。いくら追いつめられてもこれに行かないわけにはいかず、仕事の資料一式を鞄に詰めこんで、徹夜覚悟の横浜行脚となった。相変わらずアホだねぇ、無茶するなぁ、って自分にツッコミたくなる。ほんとはすぐ隣の「みなとみらい」駅近くの横浜美術館でやってる「ドガ展」にも立ち寄りたかったのだが、そっちは次の機会を待つことにした。ドガは同時代に悪評紛々のマネを讃えた希少な画家だったので、マネ好きの和田彩花ちゃんも行けるといいね。「モネ展」に行きたいって「あや著」に書いてたけど、モネよりドガをおすすめするよ。あやちょなら、権威をまとったいまのバレリーナのイメージとはずいぶん違う、ドガのいたいけな「踊り子」の世界をきっと気に入るだろう。「意外と冷静な、子供ではない大人でもない視点」で「人間の未知というもの」について、彼女は前田憂佳ちゃんと語りあうのだという。福田花音小川紗季もふくめて4人おそろいで、自分たちの原点である新人公演のオーラスに声援を送り、涙したらしい。
  • ベリキュー娘。コンも年に一度行くか行かないかって感じになってしまったいま、新人公演だけは3年前の春の第1回から全15回、毎公演一度は観てるのは、それだけ去りがたいものがあったから。ここに留まっているわけにはいかないと、一見カオスのように分子どうしが揺れ動き、ぶつかりあう「流動体」としての魅力が、そこには一貫してあったのだ。それをもっとも感じた公演は、第1回の渋谷C.C.Lemonホールではゲスト扱いの光井愛佳有原栞菜がつとめていたツートップの位置に前田憂佳小川紗季が暫定的におさまり、その後の主戦場となる横浜BLITZ初登場のエッグ独立公演となった『2007新人公演8月 横浜で会いましょう』、和田彩花がはじめてソロ曲(「17歳の夏」)に挑み、実力台頭・吉川友と上昇機運の関根梓がデュエット(「ロマンチック浮かれモード」)で歌を競った『2008新人公演9月 芝公園STEP!』、メジャーデビューのスマイレージが抜けた危機意識かチャンスの意識か初期のメラメラ感がライブに戻ってきた上、物まね企画での新井愛瞳の「セーラー服と機関銃」(映画バージョン!)が楽しすぎた『2010新人公演6月 横浜HOP!』といったところ。今回のラスト公演はそれらに拮抗する白熱ぶりで、「ラスト」というものが決まって身にまとう「安定感」とは無縁の、「未完成」の高みをみせてくれた。
  • 現在形のエッグは年少組にかつてないタレントが群雄割拠していて、不動のエース候補と思われた五期・宮本佳林がちょっと前までその中心にいたのだが、いまや九期の風雲児・工藤遙とセンターを張りあう様子。あるいは、その関係の妙からいえば、シロかりんとクロくどぅーのかたわらでひそかに対抗意識を燃やすマーブルななみん――八期の田辺奈菜美と年少さんスリートップを形成してるというべきかもしれない。夏の汐博での、リハの感想を語るかりんちゃんの優等生な受け答えを一旦否定しておいて、小話にして笑いをとってから最後に相手を持ち上げてみせるくどぅーのトーク力は、酒ヤケしたような声のギャップも含めて天性のものというほかなく、そこに割って入ろうとする真似っ子ななみんがまた微笑ましい。今公演では「僕らの輝き」の初っぱな、シルエットの綺麗な静の彫刻美からリズムを刻んで動きだし、歌いだす瞬間のセンター・工藤遙にしてやられた。春のお台場だったか「Yeah! めっちゃホリディ」のズバッと・ポーズをキメたくてそこだけ練習しまくったという、本人いわく「わけわかんない目標」に通じるものを感じた。小学5年生にして、独立独歩のさっぱりとした気風を身につけている。肝のすわった大物感がある。エッグDVD MAGAZINE最新作でのかりんちゃんの「くどぅーに抜かされるかもしれませーん」は背丈のことを言ってるんだろうが、心底の危機感みたいに聞こえてしまう。これからも3人でやんちゃしながら切磋琢磨しあえる関係を、アップフロントさん、どうかつくってあげて!
  • エッグは譜久村聖金子りえ竹内朱莉の四期以降、随時加入の体制をとったので、○期なんていうのはぼくらが便宜的に使っている感が強い。先輩後輩のヒエラルキー(階層秩序)がゆるーい下克上の世界、というのが年少組にかぎらず行き渡っていて、今公演で目立っていたのは四期の台頭だ。エッグ日記のなかでもっとも心を打つことを書きながら、譜久村・竹内に遅れをとってきたりっちゃんこと金子りえがセンター付近で重宝されたのもうれしかったが、なんといっても今回の特注駿馬はポスト・スマイレージの超エース・佐保明梨と並び立つポジションに跳躍した譜久村聖(みずき)だろう。2008年の6月初披露では気弱そうに腰が引け、9月芝公園の初ステージ舞台裏で泣きまくったあのふくちゃんが、中学2年生にして深窓の令嬢みたいな旧華族的色香を漂わせ、特徴的なダンスに追いつかなかった歌を鍛えて堂々と主役を張っている。これぞ、新人公演を通時的に観つづけてこその醍醐味。佐保明梨譜久村聖のデュエット曲「Thanks!」は、吉川・関根のあのロマモーに迫るか超えるかという今公演の白眉のナンバーで、とりわけダンスに魅了された。佐保明梨のダンスがすっくと地に生える青竹が烈風を受けた「しなり」を連想させるなら、譜久村聖のダンスは枝を這って地へと身を躍らせる白蛇の「くねり」か。詩人ヴァレリーが存命なら、彼女のダンスをこう描いてみせるかもしれない。
   みずきのダンスは、このうえなく自在にして官能的な水母(クラゲ)を
   思わせる。半透明で感じやすい、比類ない生き物。しなやかな手足には
   きめ細かい波動が走り、彼女がくるりと身をひるがえすと、まわりの
   流体と一体化してステージもかたちを変えて舞い上がる。弾力に満ちた
   ガラス質のその身体には、繋ぎとめうるものがない。毒を秘めた動き
   だけが、みだらな執拗さをもってスカートを波打たせ、彼女を狂おしい
   「エロスの夢」へと導く。ふと身震いすると、この敏感な水晶体はステ
   ージの空間にひろまり、わたしたちの目前であやしく輝く星と夜の領域
   へと飛翔してゆく……。
  • 上記、洒落としておゆるしを。『ドガ ダンス デッサン』を勝手に参照した模倣(真似っこ)です。興味がおありなら、名著名訳の原典(ポール・ヴァレリー著、清水徹訳/筑摩書房)を当たってください。佐保明梨譜久村聖は夏の汐留博で会場を沸かせたように、なにげにトーク力もあるんですよ。佐保ちゃんの「キッチンタイマー」ネタも、ふくちゃんの「体重計」ネタもちゃんとオチまでついていた。今公演にいま一度目を移せば、吉川友北原沙弥香森咲樹仙石みなみ古川小夏という、年長組生き残りの「わっきゃない(Z)」も忘れちゃいけない。歌もダンスもとっくに孵化してるやんか、といいたいアンサンブルの緊密さ、冴えた熱気。彼女たちが「人間の未知というもの」に近い将来、祝福されますように! 会場の白サイリウムの祝福にみんな大泣きしながら(院生のひらっちことポーカーフェイスの平野智美さんまでも!)、いつまでも続く海鳴りみたいにオーラス曲「Bye Bye またね」を歌いきったのもプロの卵としてりっぱでした。

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