身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

娘。コンサートツアー2010秋 JCB夜

  • 「ライバル サバイバル」ツアーのホールコン最終回、オーラスの横浜アリーナには這っても逆立ちしても直立歩行でも行けないので、これが卒業する亀井絵里ちゃんとジュンジュン・リンリンの娘。としての見納めともなる。娘。コンは去年の春以来か。あのとき、いまの8人娘。のレベルの高さをしっかり目に焼きつけた、あとはもう遠くから応援しようと思った。今回、ひさしぶりに娘。コンを観て、ああこれ初聴きって曲がいくつかあったのだが、そのステージの無限の光彩にからめとられてしまった。翌月曜・火曜と仕事をしていても、つい上の空になってしまう。JCBホールはなにかと問題のあるホールらしいが、壁全面がミロの抽象画みたいな意匠の正面ロビーをぬけて3階バルコニーへ上がると、バルコニー席はオペラハウスみたいに張り出した造りになっており、1列目の席に着くと、舞台まで遮るものがないうえ3階でも思いのほか近くに感じる。ここは楽園じゃないか。
  • オープニングから音圧が無数のガラス片となってきらきら脳天に突き刺さってくるようで、1曲目の「そうだ!We're ALIVE」から、なんだろう、いつもと圧が違う、ひろがりが違う、コサック隊とコーラス隊がコール&レスポンスしながら、ユニゾンとステップの波動は宇宙的なひろがりと呼応しているふう。タイトル前の2曲目「Hand made CITY」まで、いやアンコール曲の「涙ッチ」までダレ場ゼロでそれは持続してくれるのだが、パフォーマンスのレベルでもショウ構成のレベルでも、構築的で凋密でありながら、同時に自在感・解放感がある。余計なものを削ぎ落とし、引き絞って引き絞って一の矢、二の矢、三の矢と微笑みを交わしながら解き放たれてゆく。えっ、こんなところで? と自分でもわけわかんないくらい何度も泣かされた。亀ちゃんは「ファンの前に立っちゃ泣いてばかりだけど、私いま、すっごく幸せです」と言ってたけど、よそよそしかった世界が突然歌いだし、踊りだし、こっち側に流れこんできて、祝福されてるって感じがした。
  • 思えば娘。から幾度も受け取ってきた、そんな浄福の感覚の思いがけない再帰ゆえに泣けたんだと、とりあえず自分を納得させておく。たとえば、メドレー終盤の「恋ING」で、ソロをとる亀井絵里の柔和な声が、うぶ毛のそよぎのように耳元を撫でてきたとき。たとえば、さゆが「六期の3人でこれを歌えてうれしくて。うれしいの。うれしいよ」と絶句した「大きい瞳」で、田中れいな亀井絵里道重さゆみが相和したひとつの生命が自らを反響させ、変形させ、どこまでも推し進めてゆくとき。たとえば、「スッピンと涙」を歌い上げるというより、高橋愛のは歌を抱きしめてその体温を届けるような歌い方で、ふとあの頃のごっちんを思い起こしそうになると、まさに愛ちゃんの目がみるみるうちに潤んできたとき。たとえば、「友(とも)」や「涙ッチ」で、メンバーがめいめい相手を変えて手を繋いだり、肩を組んだり、頬ずりしたり、キスしたり、その関係性の濃度がつくる即興的な綾模様のうるわしさが眼に飛びこんできたとき。とりわけ、リーダー高橋愛がリンリンを何度も無言のスキンシップで励ましている姿に打たれた。
  • アンコール明けの新曲「女と男のララバイゲーム」は舞台映えするナンバーで、びっくり仰天した。変則型のモダンタンゴで娘たちがダンスバトルしてる感じ? 2コーラス目のブレークは間隔がフリーなんだろうか、愛ちゃん主導でノビのある声のカデンツァの聴かせどころになる。それを受けて、周囲のダンス隊の指先がおのおの横に伸ばした腿を小刻みに這いのぼってゆく。色っぽい。ぞくっとくる。「3、2、1 BREAKIN' OUT! 」から「グルグルJUMP 」への流れとか、張りとゆるみ、クールと可笑しみの振り幅が娘。コンならではの祝祭感をいや増してくれる。ときどきセンターにやってきて歌に存在感をみせる八期の光井愛佳をふくめ、それぞれに大小の見せ場があって8人の誰が欠けてもこの充溢は成り立たないと確信させてくれる。高橋愛が、いっしょに「泣いたり、悔しい思いもした」けれど「この8人は最高だと思います」、モーニング娘。史上、「過去最高」と言っていた。いつもは言葉控えめな愛ちゃんのそういう矜恃に同感したくなる、再現不可能なソング&ダンス・ショウだった。別パターンゆえ、新垣里沙のソロ曲「夕暮れ作戦会議」をナマで聴けなかったのがちょっとだけ心残り。
  • 亀井絵里ちゃんのことをもう少しだけ。娘。コンに行くと、つい亀井絵里のダンスを追っかけてしまう一時期があった。ゴム毬みたいな彼女の肉体の弾力性が、顔が笑うというより肉体そのものが笑っているように思わせた。そのダンスを観ているだけで、生の肯定感に包まれた。愉しかった。今回、亀井絵里の歌もダンスもめざましく進化していたが、観るものに愉楽をもたらす絵里ダンスの本質はちっとも変わっていなかった。泣きはらした絵里ちゃんが、踊りだすと子供みたいにもう笑っていた。身体全体で弾むように笑っていた。てきとーでものうげなかめはんも熱情ほとばしる絵里ちゃんも、弛緩も緊張もまぜこぜにして、亀井絵里という休息を知らないバネ人間の、あるいは、生まれたてのまま「踊る生命体」の陶酔境があるはずだ。すべてのものを魅入らせる狂喜と愉楽があるはずだ。絵里のことを語り尽くす、というれいなのぶっちゃけトークを筆頭に、MCも自由で面白かった。「日本の美少女のグループにわけわかんないふたりが入ったのにやさしく支えてくれた」とジュンジュンが語っていた。淋しさを隠さない正直娘が言うと、余計胸に響いてくる。わずかな間だけ奇跡のように顕現して消えてゆく「娘。共和国」、という言葉が浮かんだ。

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