身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

2010年BEST5日本映画 女のコメディ篇

  • ほんとは「女と男のコメディ」とすべきかもしれない。でも、どれを観ても男の印象度は薄め、に思えてしまうのは、「女はわからない」から余計惹かれるというこちらの興味のもち方ゆえか。「コメディ」といっても爆笑コメディとはかぎらない。お腹の底でくすっと笑えるユーモアのありかが肝要。正確には覚えていないが、かつてある文芸批評家は、親が子を思うように引いた位置からフモール(愛)をもって世界を見るのが「ユーモア」で、自分をふくめた世界を笑いのめしながらそう思考する自意識を高い位置に温存するのが「イロニー」だと定義していた。ならば、本質的にイロニーは男に帰属し、ユーモアは女に帰属するといえるのかも。それはともかく、すぐれたコメディは基本シリアスに徹すれば徹するほど可笑しいもので、よくありがちなことに映画でもTVでも役者の誇張芝居に依存してそれをコメディと言いつのるのは、いささか安易がすぎるのではって思います。

パーマネント野ばら

  • 丘から海辺が見える田舎町。仲間はとっくに外に出た。四国を思わせる関西圏のこの地元にしがみついてる、彼らいわく「残りカス」たち。しょうもなくって俗っぽくて、それぞれが「狂い」の要素を抱えてる。そんな群像の絵模様に、距離をもった愛があり、笑いがある。浮気亭主を熱情に駆られて殺そうとする小池栄子。単に男運が悪いのか被虐を呼ぶ資質があるのか、くっつく男みんなに張り倒される池脇千鶴。チンコ話が大好きでパーマネント店にたむろするおばはんたちを、貫禄であしらう通称「野ばらさん」の夏木マリ。麗しいすっぴんで皆の毒を浴びるばかりと思えた菅野美穂が、秘めに秘めた想いに狂うどんでん返しも胸を突く。西原理恵子原作ものはやたら映画化されているが、吉田大八監督のこれがいちばん優秀。

川の底からこんにちは

  • 上京以来、仕事運なく恋愛もさんざん、父親が倒れて東京から帰郷することになったOL満島ひかりが、何事も逃げまくるのが得意な上司を連れて海辺の田舎で一念発起する。はじまりは踏んだり蹴ったりの都会調オフビート・コメディ。彼女が自分を「中の下」と自己評価できたとたんに、父さんの跡を継いだシジミ工場の商品がバカ当たり、田舎風イケイケの笑いを加速させる。その転調の鮮やかさ。しれっとして調子っぱずれな面白さをもちつつ肝っ玉が坐ってる。元気が出る。『剥き出しにっぽん』という自主映画で世界に開眼した新人監督・石井裕也は本作での出逢いを経て、『愛のむきだし』で女優開花したばかりの満島ひかり嬢とご成婚と相なった。

今度は愛妻家

  • これも転調が鮮やかな、こちらは夫婦間バトルのコメディだ。もともとはサードステージの舞台劇とのこと。薬師丸ひろ子はマメで健康マニア。人生は長い、だから生活のちっちゃなことに喜びを感じて日々そのささやかな時間を夫と共有したい。写真家としてふとーく短く生きたいと願う夫・豊川悦司は、いまさら愛の確認ごっこなんて面倒と妻をないがしろにしちゃうのだが……。ピリッとした辛口で洒落っ気のある、ちょっとニール・サイモンあたりを連想させる室内劇が、沖縄旅行を起点にして○○にひっくり返る。○○は明かさずにおこう。写真や鼻唄が伏線になっている。笑って笑って感涙にむせぶことになる。世話焼き上手なゲイ・石橋蓮司名脇役ぶりもいい。大人に勧めたくなる行定勲監督のホーム・コメディ。

乱暴と待機

  • 平屋建てのあばら屋で暮らす妙ちきりんな「兄妹」のご近所に、無職の夫・山田孝之と妊婦・小池栄子が引越してきたことから巻き起こるセックス・コメディ。本谷有希子の原作では、この無職の夫が「兄妹」のお兄ちゃんのほうと、捨て犬殺処分をなりわいとする同僚に設定されていてびっくり。浅野忠信扮する映画版のお兄ちゃんは何を元手に暮らしているのかとんとわからぬむっつりスケベで、「妹」に興味をもつ手の早い無職男と対照をなす。もっと好対照なのが女のほうで、かたや他人にイラつかれることを極端に恐れて相手に気を遣いまくる、好色男にとってこんな都合のいいことはないへっぴり腰の妹タイプ、かたや彼女に敵意をむき出しにする武闘派妊婦。この四すくみのセックス・バトルが「宙づり」状態に陥るのだ。現実とシュールの境を突っ切るような、気色悪いほど明るく動的な笑いがほんとクセになる。過去稿は《こちら》

トルソ

  • これをコメディと言っちゃっていいのかどうか。女のいとおしさもいやらしさもひっくるめて肯定するふところの深い「人間喜劇」とわたしは受けとめてみたい。主人公のOLヒロコ(渡辺真起子、地味だけど『M/OTHER』以来お気に入りの女優さん)には、誰にも言えない秘密がある。男という生き物にはもうこりごり、とばかりにトルソ=男の胸板のダミーを抱いて寝ているのだ。是枝裕和監督の『空気人形』の男女逆転バージョンと一見思えるが、是枝作品の名撮影監督として知られる山崎裕が35年間あたためてきた企画らしい。観つづけると、リアルとファンタジーの中間地帯に咲いた『空気人形』に比して、こちらは女がしがみつくファンタジーすらも切り裂いてしまう。そのリアルのなかに、きびしさとやさしさがある。女の匂いを消してひっそり生きるヒロコのアパートに、妹・安藤サクラが女の匂いをぷんぷん撒き散らして転がりこむ。だらしない、しどけない、イジワルでイタズラな大蛇のような運動感が、粘りのあるカメラワークとあいまって圧倒的に素晴らしい。タネ違いの姉妹で花火をしながらの、あるいは、母と娘で縁側に座りながらの戯れの昔語りは、甘くなつかしい雰囲気をみせておいて肉親の女どうしの愛憎が背中のあたりでグツグツ沸騰してるみたい。ラストのすべり台の長廻しもいい。

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