身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

ハムレット(&ロズギル) 補遺

  • この1週間、仕事のトラブルを引きづってしまった。消耗仕事ではなく、トラブルに分け入る手応えがあったのが救いだったが、まだ結果は予断を許さない。そんな合間合間、渋谷のさくらホールで1週間あまり前に観た『ハムレット』のことに思いをめぐらし、1日おきに3度雑文を書いた。観劇とほぼ時間差なしにシェイクスピアの戯曲「ハムレット」を、舞台と同じ松岡和子訳で読み直した。ここまでうだうだとと書きつづったのは、その鮮度の高い読書体験に大いに引っ張られている。けれど、うながしの入り口は、『ハムレット』がお勉強としてではなく、自分に必要な身近なものとしてはじめてせり上がってきたこの舞台にある。Yahoo!Googleを使ってここに訪れてくれる方も多いので、まとめておきます。
  1. ハムレット&ロズギルを観て ――前説と感想http://d.hatena.ne.jp/nicogori/20110524/1306229992
  2. ハムレット ――上演時間と脇役をめぐる考察http://d.hatena.ne.jp/nicogori/20110526/1306399093
  3. ハムレット ――ハムレットとオフィーリアの考察http://d.hatena.ne.jp/nicogori/20110528/1306559433
  • [喜劇]と[悲劇?]がタイトルに冠されたことは、今回の上演台本と演出を手がけた笹部博司氏のねらいなのか、それともプロデュースサイドの意向なのか? が気になり、ネットを少しあさって笹部氏の個人ブログ「シアターカフェ」にたどりついた。“ハムレット&ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ”とあるだけで、[喜劇]だの[悲劇?]だのはどこにもない。なるほど、そうなのか。そんな枠づけや対応関係は、観るものに委ねればいいんだものね。ま、併記するときはまだしも、“喜劇「ハムレット」”と単体で記すと、いかにもこの舞台には収まりが悪すぎる。このタイトルづけで、足を運んでもらいたい観客を相当数失ったよなぁ、って気がしてならない。まだ追加2公演があるので、迷ってる方を少し後押ししたくて蛇足めいたことを書いちゃった。それはともかく、《シアターカフェ》において、長谷川純や高橋愛へのオマージュに対応させて「演じること」や「表現すること」に疑問を投げかける笹部氏の演技観には、深く肯きたいものがある。イーストウッドの『グラン・トリノ』に言及したひとつ前の記事もいい。笹部博司の名はちゃんと覚えておこう。ハムレット自身が劇中芝居の役者に語る、目が醒めるほど率直な演劇観、演技観――
せりふにうごきを合わせ、うごきに即してせりふを言う、ただそれだけのことだが、
そのさい心すべきは、自然の節度を越えぬということ。何事につけ誇張は劇の本質
に反するからな。もともと、いや、今日でも変りはないが、劇というものは、いわ
ば、自然に向かって鏡をかかげ、善は善なるままに、悪は悪なるままに、その真の
姿を抉りだし、時代の様相を浮びあがらせる……ところで、このやりすぎというや
つ、もちろん力のたりぬばあいも同じだが、眼のない連中はそれでけっこう喜ぼう
が、玄人にはやりきれない。だが、そういう人たちの批判こそ、大向こうの受けよ
り怖いのだ。     【「ハムレットハムレットの台詞(福田恆存訳 新潮文庫)】
  • ここのくだりは断然、松岡和子訳より福田恆存訳が好きだ。訳文のことをもう少し。あくまで素人考えだが、"To be or not to be" についてふたたび。「生か、死か」(福田恆存訳)や「生きるべきか、死ぬべきか」(最新訳の部類に入る河合祥一郎訳がこれを採用しているそう)と、「生きてとどまるか、消えてなくなるか」(松岡和子訳)では、単に松岡訳が「存在」のレベルと「状態」のレベルを表す "be" にぴったり寄り添っているだけじゃなく、前者が二者択一、後者は二律背反に重心を置いた翻訳に読める。「生きる」か「死ぬ」かの二者択一に対して、こちらは「生きてとどまる」ことも「消えてなくなる」こともかなわないダブルバインド状況。そのもがきのなかで、ハムレットは怒りと悲しみをバネに、いま、ここから一寸先の闇へ身を躍らせる。ハムレットの第三独白と呼ばれるこの箇所で松岡和子訳に惹かれるのは、そんなふうに想念を遊ばせてくれるから。
    • ごく個人的なことですが、客寄せの工夫も歓待のもてなしも一切していない、ときに更新が長期途絶もするこの殺風景な辺境ブログが、昨日10万アクセスを越えました。もともと5年前、宝塚の全面バックアップを得て、高橋愛がいまは亡き新宿コマの舞台主役に大抜擢された『リボンの騎士 ザ・ミュージカル』への驚きから、衝動に駆られてここをはじめたのでした。『リボンの騎士』の脚本・演出を手がけた宝塚所属の木村信司氏がシェイクスピアに造詣が深いことはそのときから知っていて、『リボンの騎士』のシンプルにして立体的な劇構成などにその影響が窺えることはうすうす感じていました。今回の『ハムレット』を観て、剣先に毒を塗る陰謀ぶくみの試合から、男か女かの二律背反に苦悩するサファイア王子の在り方やその他の脇役にまで、ミュージカル『リボンの騎士』には「ハムレット」の残照が宿っていることに気づかされました。当時から「ハムレット」の痕跡を指摘する優秀な個人サイトさんがあったのを覚えているけれど、ずいぶん遅まきながら、ありありとその気づきを得たのもうれしかった。もとより、手塚治虫の原作漫画自身がシェイクスピアのなんらかの影響下にあるのでしょうが。普段はたいして気にしないアクセス数が、『リボンの騎士』と『ハムレット』をつなぐように大台に乗った偶然の采配も、至極ささやかなことながら喜ばしいものでした。

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