身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

らん―2011(吉祥寺前進座劇場)感想

乱のなかの蘭――大輪の美剣士、矢島舞美

  • 5月27日、金曜日の夕方、いまにも雨が落ちてきそうな空を仰ぎつつ、吉祥寺へ『らん』を観に行く。少し前まで少々雨に濡れても平気だったのに、どうしても放射能のことが脳裏をよぎってしまう。バカラックの「雨にぬれても」も、もうくちずさめない。『らん』の観劇ははじめて。去年の初演バージョンも観ていない。前進座劇場に入るのもはじめてだ。赤煉瓦に赤提灯、ロビーも館内も緋色が目に飛びこんでくる。さっぱりとした和洋折衷の美があって、以外とキャパが広い。そして花道がある。りっぱな劇場だ。前進座といえば結成時は映画となじみが深く、中国戦線で夭折した天才・山中貞雄監督、29歳の遺作となる『人情紙風船』が忘れられない。1930年代の作なのに、永遠の若やぎをワンショットワンショットに感じる。飄々と哀切のないまざった傑作時代劇だった。狂騒とおちゃらけと哀切をごたまぜにしたチャンバラ時代劇『らん』をこの劇場で観るというのも、けっこうオツかもしれない。劇としては弱点多しと感じたが、活劇女優・矢島舞美に刮目、惚れぼれしてしまう。
  • 秦建日子作・演出の『らん』のモチーフは、劇中の台詞にもさらっと出てきたが(もしかして役者さんのアドリブかもしれない)、おそらく黒澤明の『七人の侍』だろう。『七人の侍』は山賊の襲撃に苦しむ農民たちがなけなしの白米でもてなし、クセモノぞろいの7人の侍を雇う。『らん』はこれを換骨奪胎、殿様の正妻・側妻のでんぐり返し(日替わりギャグ?)みたいな勢いでものの見事にひっくり返す。殿様の圧政と侍の暴虐に苦しむ農民たちが、村の一隅の田畑を褒美として6人の山賊を雇うのだ。らん、イタチ、カブト、クジラ、ナズナハコベ。6人は毒水の流れる不毛の谷、赤谷に暮らす。民俗学なんかにきく、サンカ(山人)のイメージが反映しているのかも。侍と農民の階級差より、農民と赤谷のほうが身分の垣根が厳然と高く、農民は田畑の約束を反故にしたり、赤谷の連中に平気で嘘をつき、平気で裏切る。生活のためとはいえ、その薄汚い悪業ぶりたるや『七人の侍』の百姓の「ずるさ」の比じゃない。殿様のうすーい戯画化はまぁいいとして、このあたりの村人の描き方は、農民=貧しき善き民という時代劇の類型を裏おもて逆にしただけの力づく。村長あたりにアドリブを交えて熱演されればされるほど、うーん、鬱屈した気持ちになった。なんだろう、このやりきれなさは。前半は長かった。
  • 聴き惚れるほどの津軽三味線の独奏(この劇場、なにげに音がいい!)にはじまる後半は、圧倒的な数を誇る村人と侍の連隊に、ひとりが死んで5人となった赤谷のアウトロー的闘士がいよいよ追いつめられ、負けを覚悟の戦いを挑む。この多勢に無勢のクライマックスは、『七人の侍』というより、サム・ペキンパーの傑作ウエスタン『ワイルドバンチ』あたりが頭をよぎる。引き絞られた悲憤のエネルギーが炸裂するバイオレンス・アクション! 農村では異端児のドン・ファン的色男、正太郎とらんの身分違いの恋(らんの片恋に限りなく近い)を大輪として、いくつものかなわぬ恋の花がその争乱にみだれ散る……。
  • 剣戟スターの太刀さばきは、豪壮なタイプから優雅なタイプまでさまざま。らんにのりうつった矢島舞美は、花道を韋駄天走りして豪快な七人斬りを見せれば、敵の剣先が目前にあってもひるまず、瞬時に身をひるがえして軽やかな舞いのような殺陣(たて)も見せる。二刀流の場だったか、黒髪が汗に濡れた額にかかり、目元には殺気と悲しみが宿る。赤い花の胸元がふとはだけた感じになる。あれはわたしの幻視だろうか、「艶麗」という言葉が浮かんだ。刀を一閃に振りぬいた後のキメ――下半身に地を噛むような力感があるから、不動の見栄が悲愴の美をおびてキマる。重心がつーと移動すると、次々に仲間を失うらんの痛切な感情までが動くのを感じる。月と闇の空間にひしめく肉体。剣の交わる音と、蒼い閃光の効果。三味線とサックスの音色とうねり。それら渾然の舞台に、矢島舞美のらんは今をかぎりに咲きほこっていた。らんはここが自分の死地だと知っている。斬られるなら、せめて愛する男・正太郎に斬られたい。その一瞬の間合いにらんの「虚無」があり、タメにためたパッションの「成就」がある。
  • 「型」の美しさを大事にする殺陣に斬りあいのリアルさを持ちこんだのも黒澤明といわれるが、これほど太刀さばきの美しさとリアルな迫真性を合わせもった女剣士って、日本映画をひもといても見当たらない。緋牡丹お竜の名女優・藤純子は……あの粋な鉄火肌の女っぽさはちょっとやそっとじゃ真似できないが、真に迫った立ち回り自体は矢島舞美のほうが断然上だ。カンフーアクションで鳴らした志穂美悦子は男装の女剣士を演ったことがあるが、こういう「裂帛(れっぱく)の」と形容したい立ち回りは記憶にない。近いところでは『あずみ』があるけれど、上戸彩の殺陣には惹かれるべくもなかった。舞台事情に詳しくはない。おそらく、黒木メイサ(映画『ヤマト』にはがっかりしたが)あたりに追いつけ追い越せの、剣戟×アクション女優のパイオニアに、よき才能との出会い方次第ではなれるんじゃないか。茨の道かも知れないけれど、謙虚さに裏打ちされた聡明な舞美さんなら、きっとなれる! そもそも娯楽時代劇の華は本来男優にあって、一般的には、女優さんは長らく刺身のつま扱いだった。若手女優なら生娘の役か、さもなくば芸妓か。らんは放蕩児に夢中の生娘、というコミカルな味つけの側面に、剣の腕の立つ無頼の徒、という男優が担ってきた側面を掛けあわせた役ともいえる。両性具有のおいしい役。*1
  • 殺陣指導の横山一敏氏とともに、天賦の器量と身体能力を生かせる大役に矢島舞美を導いてくれた秦建日子氏には、ファンとして感謝、また感謝です。生き残った赤谷のナズナハコベによるラストの台詞――正確には忘れちゃったけど、「結局、誰が勝ったんだろう? 最後まで嘘をつかなかったウチらかな」みたいな台詞は、『七人の侍』の志村喬演じるリーダー的侍・勘兵衛が吐いた有名な台詞、「勝ったのはオレたちではない、百姓たちだ」に対応していますよね。思い切っていうと、『らん』はもっと直截に「階級闘争」を下敷きにした娯楽活劇なんです。階級闘争とその敗北、あるいは負けて勝つこと。まことに、師つかこうへいに捧げられた、お弟子さんの渾身の作だなって思う。あえて憎まれ口をたたけば、『何日君再来』(演出:岡村俊一)、『こもれびの中で』(作・演出:西澤周市)、『鬼』(作・演出 渡辺和徳)そして『らん』と観てきたけれど、つかこうへいの弟子筋の作品は、どうしてこう父たる師匠のある一面だけに似てしまうのでしょうか。刈りこむより枝葉の茂るに任せた、劇作と役への暑苦しいほどの思い入れ。主題や芝居の、押しだしの強さ。それらと連動したりしなかったりする、過剰なサービス精神。このままじゃ「父」を越えられないではないか、とも思います。

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*1:脇役では、村落共同体の同調圧力にひるまない農家の娘で、らんの強力な恋がたき・お綾を演じた工藤里紗が印象に残った。深夜の競馬番組のアシスタントとして知るのみだったが、芯のある女優さんになってたのね。