身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

リボーン 10/10夜 (西新宿) 感想

  • 観る予定がなかったけれど、○○○に観せてもらった。思わぬ拾い物といえる楽しさでした。新宿副都心の全労済ホール/スペース・ゼロの館内に入ると、富田勲作曲の懐かしい「リボンのマーチ」が響いてきて、まずびっくり。TVアニメ『リボンの騎士』の、たしかエンディング曲だったはず。舞台に目を向けると、白亜のお屋敷が薄紫の光に染まり、正面の門構えには大きな赤いリボンが結ばれている。張り出した左右に縁取られているのは楕円の姿見か。引き続いての音楽は、同じく富田勲の名曲「ジャングル大帝」から「リボンの騎士」のテーマソングへ。まだ舞台がはじまる前なのに、えっ、なんなの? と胸が高まる。『リボーン 命のオーディション』の「リボーン」が「生まれ変わり」と「リボン」を掛けたものであることはたやすく想像がつくけれど、『リボンの騎士』がモチーフやテーマに関わってくるのかも、とは思いもしなかった。意表を突かれた。
  • 「ファミリーミュージカル」と銘打たれたこの作品、幹も枝葉も急展開にひとつの地点へ収斂する終わり方がなかなか鮮やかなので、ファンとしてはつい『リボンの騎士 ザ・ミュージカル』の脇において、高橋愛から新垣里沙へと受け継がれるものなど語ってみたくなるのだが、宝塚と娘。のコラボ・ミュージカルへのオマージュ(賛辞)の意識が作り手にあったとは正直言って思えない。先行舞台より、『リボンの騎士』を筆頭とする手塚治虫の原作漫画やTVアニメへのオマージュが、ともすれば散漫に流れがちな『リボーン』をジャンプさせ、別の位相(作者・手塚を神とする創作空間)に着地させる。ジャンプに多少の無理と乱れはあるものの、そういう妙味のある舞台なのだ。うーん、もうちょっと突っこんで書きたいのだが、すでにルール違反すれすれ、オチに関わることなのでこれ以上は自重しよう。
  • 脚本の太田善也さんによると、当初の発想はミュージカル『コーラスライン』にあったらしい。「オーディション」のほうに比重をおいた虚実皮膜の、もっとドキュメンタルな熱気が狙いだったのかもしれない。そこに「生まれ変わり」という虚構世界ではいささかありふれたテーマを、あえて持ちこんだのがプロデューサーの丹羽多聞アンドリウ氏か。百年、千年単位で地上に未練を残したままカオスゾーンをさまよってきた偉人たちが、あらかじめ神様によって用意された10の命をオーディション形式で競いあう。兵藤ゆき閻魔大王高木紗友希こうのとり狂言回し(進行役)として並列的に語られる転生の物語自体は、作品の根幹となるジャンヌ・ダルクとベべの挿話を除けばいたって他愛がない。ただ、ハロプロ周辺の劇と関係の長い太田氏だけあって、演者の舞台経験と信頼度に応じてそれなりの見せ場を用意してくれている。
  • 森咲樹演じる明智光秀の回し蹴りに、仙石みなみ演じる織田信長の首締め&頭突きダブルコンボ(わたしにはそう見えた)という掛け合いバトルは、わたしが観た回では頭突きが明智の額を直撃するハプニングを呼んで明智のモリサキちゃんがアドリブで応じ、どかんと受けた。チンギス・カン役の宮本佳林は相変わらずの芸達者、課題遊戯に失敗した罰ゲームとして聖子、明菜、あと誰だっけ、「80年代アイドルメドレー」なる一発芸をかまして、閻魔大王いわくカオスゾーンをさまよう客席の有象無象にどかんと受けた。譜久村聖生田衣梨奈鈴木香音の三大美女は、三大悪女めいた言ってみればコメディリリーフ。自意識を捨てて台詞や動作を(クレオパトラふくちゃんから楊貴妃香音へのどつき漫才も)もっと思い切りよくクレイジーにすれば、きっとどかんと受けるだろうに。ダ・ヴィンチ役の工藤遥は、キャラの面白さより、赤ちゃんルックのまんま美学的な講釈の難台詞をいかに流暢に繰り出せるか、が勝負のような役でちょっと損をしていたね。滑舌がんばれ!
  • 『リボーン』は、ジャンヌ・ダルク役の新垣里沙とべべ役の田中れいなのダブル主演がなによりの見どころ。どちらも甲乙つけがたいよさなのだが、新垣里沙の男性的エレガンスというのはミュージカル『シンデレラ』の王子役ですでに堪能させてもらっていた分(今回はそこに秘められた母性が加わるのだが)、わたしの驚きは田中れいなのほうが大きかった。べべという役は、偉人たちの間でひとり異質なキーパーソンだし。ベベとは何者か? 11のさまよえる魂に用意された10の命、転生できずカオスゾーンに消えてゆく者は誰か? その興味の持続が、拡散しがちな物語をエンディングへと牽引してくれる。観る前はてっきり、ベベという愛称だった60年代のフランス人女優ブリジット・バルドー(エロカワ女優の源流)のことだと思っていたが。 
  • ベベと好対照に位置づけられる役柄がシェイクスピアだ。鞘師里保が「形」から入り、余裕のある物腰や笑い方に工夫の跡がみえるのが、役どころとのギャップを含めてなんとも微笑ましい。先輩「かりんちゃんさん」を研究して、芸を盗んだのかも。シェイクスピアがお抱えの座付き劇作家として王宮の権謀術数や王国の興亡を知り尽くし、人間の裏おもてを知るほど懐疑や悲哀に陥りがちなのに対し、ベベは人の世のことを何も知らない。とことん無知だけど、あの世とこの世、転生の門口ですべてを感じ、吸収し、争いごとや厄介ごとを起こしがちな偉人たちのかたくなさをほぐしてしまう。誰より火刑に処せられたジャンヌの怨嗟の心を溶かしてしまう。演出の吉田健さんと二人三脚でキャラクターをつくりあげたのだろう。といって、作為的につくりすぎず、この全きイノセンスを心の奥底を手探りするように田中れいなは演じている。
  • ベベには幼年期の愛嬌とでも呼びたい可笑しみがある。ベベには生まれて飛んで、きらきら笑みを残して消えるシャボン玉のような「はかなさ」がある。「いつもそばにいるよ」というジャンヌ=里沙のソロの呼びかけに、ベベ=れいながユニゾンで応答して愛の相聞歌となるクライマックスは、転生するモーニング娘。の未来とも呼応して胸が熱くなる。でも、わたしのいちばんのお気に入りは、オーディションの幕間に同じ旋律が歌詞違いでベベ=田中れいなによって歌われる至純のソロ・ナンバーだ。目覚めの光の喜びも星の光のやさしさも、鳥も花も私は知らない♪ あなたの胸や声、手の温もりだけをかすかに覚えている♪ その「私は知らない」のリフレインが静寂にかき消える。一切を知らないまま、このひととき、ここに在ることの不思議、その嬉しさ。そして、幼き死者の透き通った憂いを残して……。

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