身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

℃-uteコン2012春夏4/15(越谷)夜

  • ℃-uteコンは、『ダンススペシャル「超占イト」』以来。新たなモードに挑もうとする℃-uteコンの志の高さを再認識したツアーでした。およそ2年も間があいたのは、わたしの横着にすぎません。今回の『美しくってごめんね』は、ニコ動の『アイドル横町祭!! 生バンドスペシャル』を観て衝動的に出向きたくなりました。℃-ute周りの演劇や今月の日替わりMVも動機の一端です。約半分の曲が初聴きゆえ印象がごっちゃになっていますが、空を翔るような楽しさでした。℃-uteはグループとしてひとつのピークにさしかかってるのかも、と思いました。ここからどんな境地へ行くんだろうとも。
  • 鈴木愛理は、もともとの歌の上手さに表現力が加わった。というのは誰もが知っている。でも、表現力は万能ではない。早い話、「鉄の女の涙」を演じるメリル・ストリープのような計算し尽くされた表現の完璧さを賞賛はできても、琴線に触れるような感動はそこにない。余白のある演技、余白のある歌が好きだ。鈴木愛理は表現を烈々と押し出すタイプではない。余白のあるシンガー。彼女には計算に拠らない生地の良さがあって、書き込みのないその余白に吸いとられるように、わたしたちはそこでくすぶり、内燃する表現を感じ取るのだ。「君は自転車 私は電車で帰宅」の鈴木愛理 Train Lip Ver.を観ていると、『雪国』で川端康成が描いたサブヒロイン葉子の車中のシーンが蘇ってくる。葉子は「悲しいほど」の美声をもった娘で、斜め向かいの座席に座った話者は「野山のともし火」と二重になって窓に映る彼女の透明な面立ちを「娘の眼と火とが重なった瞬間、彼女の眼は夕闇の波間に浮ぶ、妖しく美しい夜光虫であった」と形容する。「青春ソング」のような讃歌も愛理のソロのアカペラに導かれると、夢の旅路に果てなく夜光虫を追いかけるような狂おしくも涼やかなツヤを帯びてくる。
  • 中島早貴は、特徴的だったダンスの振りの大きさをいつしか封印し、しなやかさで魅せるようになったが、お芝居をするとその本来的な振りの大きさがぶり返してくるみたい。大振りの芝居は、往々にして演者の自己顕示欲の勝ったものになってしまう。中島早貴はそうじゃない。なかさきちゃんからなっきぃへ、恥ずかしがり屋の女の子に、あるときコメディエンヌの因子が発現したような内発的なお芝居なのだ。昨年暮れに南新宿で上演された舞台『1974(イクナヨ)』には、中島早貴演じるヒロインりつ子が受験時に男の子(実はゆえあって男の子に成りすましてる女の子=岡井千聖)にずきゅんと一目惚れする夢心地をミュージカル仕立てにした、「桜桜桜の前で」というタップ・ナンバーがある。その幸福感を記憶の底に追いやるまいと何度もイメージを反芻してしまう。『1974』のDVD版(e-LineUP!で通販中)には、大震災直後3月13日の「桜桜桜の前で」通し稽古抜粋シーンが特典映像として収録されている。おそらく稽古場には舞台がお蔵入りするかもという不安が渦巻いていたはずなのに、初期℃-uteコンでもおなじみのタップの靴音を響かせる中島早貴の軽やかなステップと心尽くしの歌(そして彼女を支えるアンサンブル)には、世界をまるごと抱きとめ肯定する力が宿っているようで、あの幸福感の核心をたぐり寄せたみたいに嗚咽がこみ上げてきた。今回の℃-uteコンがもっているグループとしての凝集力、そこから放たれる「世界を肯定する力」の芯にも、とびきりのファニーフェイス美人なっきぃがはにかむように居てくれる。
  • 矢島舞美は、半身が女で半身が鳥だったり魚だったりする海の精セイレーンだ。歌って踊ると女の半身が水浴びしたようになり、その本性を露わにする。透き通っているのは汗なのか、水晶のような肌なのか。対面するのに、中途半端なやさしさは危険だ。張りのある歌声と肉感的な舞踊で男どもを魅了するや、骨抜きにして自分の住処である海へと泡を立てて引きずり入れる。その裸形の力には、オデュセウスのように体を帆柱に縛りつけないかぎり、あらがいようがない。あとに残るのは、心のなかを見ぬいてほしい……の残響と、肌の火照りを鎮める大海。すると、雲が湧き、雨が降りだし、波がくだけ、舞美は始原の命さながらにエロスの火柱となって雨をはじき、汗をはじき、微笑みとともにふたたび大いなる海のステージに照り映えるのだ。
  • といったことを、コンサート後半の「世界一ハッピーな女の子」「幸せの途中」、MCをはさんでフラッグ使いの「Midnight Temptation」から「都会っ子 純情」「めぐ恋」「ダンバコ」「青春ソング」という怒濤の展開をへて「君は自転車 私は電車で帰宅」に至る流れが吹きつくった高揚感を重ねながら、脱線ぎみ(気味どころじゃない!)に書き連ねました。岡井千聖萩原舞の歌にもこちらが思わず聴き惚れてしまうような成長の跡が感じとれ、アンコール曲のごった煮お祭りソング「ズンタカマーチ」でこぶしを効かせる岡井ちゃんも、「いざ、進め! Steady go!」でヘドバンしすぎてでかいリボンを吹っ飛ばす舞ちゃんも持ち味全開。そんななか、今回のコンサートのハイライトを成すパフォーマンスとなれば、5人それぞれのソロ曲が明けた後の「憬れMy STAR」にとどめを刺されます。いつもの大型モニターに代わる5つの縦長LEDパネルがあるときは紗幕、あるときは鏡となって5人それぞれのシルエットや鏡像を映し出す。かと思えば、(あらかじめ撮影された)幻像が生身の5人と競演したり、分身化してバックダンサーになったり。虚実が連動して停止・跳躍・消滅・生成・追跡・逃亡・瞬間移動など、時空間の変化やズレを音楽的に遊ぶのです。創意ある視覚トリックの演出が鍛えられた5人のショウガールの共鳴現象を増幅する。陶然として息をのむ夢のステージ・パフォーマンスでした。こうして℃-uteコンは自己変革を繰り返しつつ、不変のまばゆさを提示するのです。

_____