身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

ゼロ・グラビティ  感想

    • これ、昨年暮れの劇場公開前に書いていながら、ネットに上げるにはいささかネタバレが過ぎるし、時が経って時期が来たら、もうちょっとディテール濃いめにリライトしよう……なんて思いつつ、放り出してしまっていたものです。『リリウム』の演出家・末満健一氏が、東京公演と大阪公演のあいまに『ゼロ・グラビティ』をBlu-ray鑑賞した感想をつぶやいていて、邦題が「馬鹿」に値することにも触れてられました。で、タイミングを逸した今になって、このままUPしちゃおうという気になりました。ただの気まぐれです。ラストに言及しているので、未見の方はご注意を。
  • 宇宙モノの記念碑的な映画として将来的に名を残しそうな予感がします。宇宙モノといっても、いわゆるSFファンタジーじゃありません。上空60万キロ、地球を間近にひかえた大気圏外の無重力空間がメイン舞台の、ハイパーリアルな物語です。
  • 登場人物はほぼふたり。しかも、操縦に通じ、社交性にも長けた宇宙飛行士(ジョージ・クルーニー)は途中で宇宙の藻屑と消えてしまう。早々と、サンドラ・ブロック演じる女性博士ライアン・ストーンが暗黒の宇宙にひとり取り残されてしまう……
  • 宇宙ゴミ」という言葉を最近よく耳にします。寿命を迎えた人工衛星やロケットが年々増えて軌道を回り続け、宇宙環境に支障をきたすほどゆゆしき事態にあること。この映画では、爆発して破片となった宇宙ゴミが雲のように増殖し、スペースシャトルの船外でストーン博士が医療装置の実験をするちょうどその時、猛烈なスピードで通過します。
  • スペースシャトルは大破し、船内にいたクルーは全員死亡しちゃう。カメラが引くと、果てない暗黒宇宙の孤絶感がある。カメラが寄ると、かぎられた酸素が欠乏間近という宇宙服内の恐怖がある。地球はすぐ目前に青く雄大に浮かんでいるのに、彼女には帰る術がないんです。
  • となりの無人衛星までなんとかたどり着く。でも、ストーン博士は科学エンジニア。無重力訓練の経験は積んでいても、宇宙飛行士のプロじゃない。はたしてどうやって地球に帰還するのか? 絶体絶命の危機なのに、あたりは静寂に満たされ、無重力の浮遊感につらぬかれた平安状態にある――このあたりの描写はみごとです。
  • ところで、ストーン博士には幼い娘を事故で亡くした過去があって、以来心を閉ざし、絶対孤独の宇宙に安住の場を求めてきた、というもうひとつのドラマが秘めらています。そんな彼女が宇宙で極限の危機に瀕し、ふたたび地球に引き寄せられてゆく物語ともいえましょう。壮観な宇宙の物語が、とてもパーソナルな「個」の物語を包み込んでいて、それが観客ひとりひとりの個に訴えかけてくる、という仕組みになっています。
  • 日本タイトルは「ゼロ・グラビティ」=無重力と端的にわかりやすい。一方、原題は「Gravity」=重力。はるかに、こっちのほうが示唆に富んでいます。ラスト、ヒロインが自分という存在をふくめてモノの「重さ」の実感を取り戻してゆく、母なる海への帰還、そのアクションの連動にこそ、もっとも胸を打つものがあるのだから。
  • 監督は、メキシコ出身のアルフォンソ・キュアロン。メキシコという国は、なぜか近年、ハリウッドにも適応できるメジャー志向から、ヨーロッパ系の国際映画祭で賞を獲りまくるインディーズ系まで、大物監督を何人も輩出しています。キュアロン監督の名を覚えたのは、10年くらい前の『リトル・プリンセス』。少女セーラが暮らす寄宿舎を、日本では『小公女』の名で知られた原作のロンドンからニューヨークに移した、明媚で色彩感豊かなハリウッド・デビュー作でした。

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