身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

君に届け  多部未華子 感想

  • 多部未華子の映画なら、弟をからかいながらの学校からの帰り道、通りの辻でふと見慣れた風景が変わって家に着くともぬけの殻、両親からはぐれちゃうというパラレルワールド的設定を、自立の辻に突然立たされる女の子の青春ジュブナイルに取りこんだ佳品『ルート225』が、いままで群を抜いていた。あまり知られていないのが惜しくなるこの主演作に、同じ中村義洋監督作でコメディエンヌとして脇で光っていた『フィッシュストーリー』を加えると、勧めたくなる映画はほぼ尽きてしまう。いや、目の前に『君に届け』があるよ! と言えることがとてもうれしい。舞台での最初にして極大の成果、今年春先の『農業少女』で、田舎に飽いた田舎娘がひょんなことから上京の列車に乗り、飽きっぽい欲望都市の風圧に飛びこむのを、列車の椅子に座ったその鼻先に、新聞ひろげて吊革につかまる格好だったか、好色な中年男の股間がくっついて離れない、という喜劇的なフォルムにまず象徴化、というか単純化してみせた松尾スズキの、ハナから「意地悪」な演出の洗礼に、多部未華子はりんりんとハードボイルドに応えてみせた。その覚悟が終幕まで弛まないコメディエンヌとしての、女優としての度量に涙し、胸が高鳴った。『君に届け』は春から冬への季節のめぐりに展開する物語だから、その前後に撮られたってことになるのだろうか。こっちは胸きゅん学園もの。この落差はすごいね。つながっているのは、ピアノ線がぴーんと張ったような透明な緊張感をふくんだ、コメディエンヌとしての持ち味だ。
  • それにしても、21歳の多部ちゃんが、恋はおろか、男の子とろくに会話したこともない16歳の超奥手な女子高生をほぼすっぴんで演じて、なんの無理も不自然も感じない。17歳にさしかかる一歩手前で年上の男に熱烈な恋をして価値観がひっくり返る優等生を、22歳で演じた『17歳の肖像』のキャリー・マリガン*1 の清新な少女像にも感じ入ったが、多部未華子はもっと自然体で16歳になれてしまう。主人公・黒沼爽子は、いい子でいようとするあまり長い黒髪でおどおどと物怖じする陰気さが、どんより黒い沼のような印象を同級生に与え、「貞子」のあだ名を拝命する。へたすりゃエキセントリックな役だねぇで終わりかねないが、多部未華子が演じるとそこに爽やかな可笑しみが漂う。爽子は親にしろクラスメートにしろ、他人を気遣うあまりなんとか他人の期待に応えようと先回りして自分から墓穴を掘り、あげくひとりぼっちで落ちこんじゃう。頑是ないうわさが元で自分といると相手に迷惑がかかることを恐れ、せっかくできた友だちにも身を引いちゃう。せっかくあこがれの男子・翔太に告白されても尻込みしちゃう。親がうれしそうにしていると親との約束に背けなくなって、翔太との大事な大事な時間をフイにしちゃう。ちゃうちゃう尽くしの残念キャラクターは、作者さん、あまりにもわかりやすいタイプ化された「症例」ですね、と言いいたいところだが、多部未華子の肉体を通すとそこに温かい血が通いだす。うわさごときに身をひるませちゃダメと叱咤激励したくなる。一歩も踏みだせないもどかしさごと愛したくなる。
  • 画面のトーンは明るくやわやわとしてるが、学園の日常を生きる女の子たちの肌合いだけは妙に生々しくツヤめいている撮影。その日常をスケッチしつつ、ここぞというときはじっくりと演じ手の力量と感受性に問いかけるような演出。熊澤尚人監督の映画はもどかしいなぁ、もう一歩踏みこんで! って言いたくなるものばかりだったが、今回のはやけに沁みた。うわさを広める女子に突き倒されながら、友だちを侮辱する言葉の撤回を爽子が求める寄りのショットとか、いくら捜しても翔太が見つからない大晦日の夜、遅かったかぁと爽子が嘆く裏野原の俯瞰ショットとか、響くものがあった。対する早風翔太は、ひとりでいることに馴れ、いろんなことをあきらめることに馴れた爽子を見守りながら、近くにいるのにお互いに手が届かない微妙な位置から、前に進む道を爽子につくってあげる役どころ。早春の風のようなクセのないキャラクターで、「受け」の演技に徹することが求められる分、意外と難役かもしれない。三浦春馬はベストキャストだろう。爽子の貴重な友だちになるクラスメートでは、さばさばしているのに情にもろい千鶴を演じた蓮佛美沙子*2 が、彼女の片想いのエピソードともどもちょっといいなって思った。原作漫画のことは何も知らない。今日、初日を迎えた映画へのメモランダムとして。

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*1:今年の米アカデミー主演女優賞にノミネートされました。新人にしていきなりのノミネートは『ローマの休日』のオードリー・ヘプバーンにも喩えられました。

*2:新版『転校生』のヒロインに体当たりで挑んで素敵だった若手女優。