身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

表に出ろいっ! 作・演出/野田秀樹 感想

  • 一幕一場、ある宵の口の家庭内戦争。大地と垂直に交わるような『春の祭典』が忘れがたい亡き演出家&ダンサーの名を冠した、愛犬ピナ・バウシュが今夜にもお産を迎える。中村勘三郎扮する父に野田秀樹扮する母、その年頃の娘、3人とも今夜は大事な予定を入れている。じゃ、誰が留守番を? ちっぽけな火種が、「私が信じてやまぬもの」をめぐる戦いに発展してゆく。その圧倒的な可笑しさ。笑って笑って、爆笑の果てに笑いはふと凍りつく。「大事な予定」とは……それが三人三様の心の置きどころ、偏愛のありかだ。母はアイドルのコンサート、父はテーマパークのパレード、娘はファストフード店の行列がお目当て、と新聞記事なら一般化した書き方になってしまう。「一般化」すると、毒が消えて味が薄まる。実はこんな具合なのね。母は小さな男の子たちに入れあげて、今夜かぎりのジャパニーズのコンサートを何ヶ月も待ち焦がれていた。能楽師の父は薪能のかがり火とは異色の電飾に気晴らしを求めて、毎年デスティニーランドのエロトグロニカルパレードに我を忘れてきた。ロンドン帰りの娘はレアもの必至のキャラクターグッズ欲しさに、友だちとクドクナルドに並ぶ約束をしている。
  • めいめいの隠しきれない隠し事。早すぎる夕飯の支度を謝罪する妻を、早めに外出するつもりの自分への妻のイヤミと勘違いした夫は、「おい、皮肉か?」と問いかける。けれど、『表に出ろいっ!』は皮肉を効かせて高所から彼らを嗤おうとする風刺劇ではない。ハタからみれば「くだらない」ことを信奉する登場人物に対して、おいらもいっしょだよ、とでもいうふうに視線が低い。風刺劇なら新聞記事になりやすかろうが、この舞台はあくまでドタバタを極めて階段落ちのサービスまである笑劇(ファルス)なのだ。笑劇のなかに自己批評が効いている。そこに惹かれる。もとより、性懲りもなく舞台上の「小さな女の子」たちを賛美してやまないこのブログが高所に立てるはずもない。とびきり小さな男の子たちのグループになんで夢中になるの? あんなの音楽的にぜんぜんダメ、という娘の罵倒に、彼らは東京ドームをいっぱいにするエンタティナーで日本の文化なのよ、あんたがロンドンにかぶれてそれをバカにする気なら、いったい何がいまのこの国の文化なの? って母は問いを投げ返す。お父ちゃまのお能は日本の文化でしょ! と娘がとっさに答えると、勘三郎演じる父親の反応がふるっている。そう言ってくれるのはうれしいけど、「お能の始まりだって、いまのジャパニーズとそれほど違わない。世阿弥とかみんな美しい男の子だったんだから」。矛先をゆるめての一ヌケを画策し、それに失敗すると、モズク好きの父は、やおら日本の食文化をダメにした娘の聖域クドクナルドを罵倒しはじめる。
  • こうして○○信者という日本的、あまりに日本的な「信仰」のあり方が違うようで違わない同じ穴のムジナどうしが、Aの聖域をけなすためにBはCと結託する、Bの聖域をけなすためにCはAと結託する……という三すくみの内紛をはじめる。ネット上のヲタどうしの内紛を連想させずにおかないが、この一家はもっと徹底している。歌舞伎の引幕を幼児が彩色したらこんなふうか、と思わせる七色の明るい舞台空間は、ワンルームの壁2面がぶち抜きで客席に開かれていて、位置的には舞台正面前方にあたるその角っこにリングサイドのようなポールが突っ立っている。父と母と娘は相手に出しぬかれることを恐れ、互いの足を愛犬ピナ・バウシュの鎖でポールに繋ぎ、言葉のデスマッチと相成るのである。「表に出ろい!」の売り言葉はみごとに空転し、みんなが表に出たいのに誰も表に出られない。ドタバタのなかで電話線は切られ、ケータイは壊され、鍵はトイレに捨てられる。やがて、3人に本源的な「渇き」*1 が訪れる。矢継ぎ早の台詞と動作は「間」にとって代わる。静が動を、沈黙が言葉を呑みこむ。
  • 家庭という、「眠っても死なない雪山」での遭難の図。悲劇的なのにあくまで滑稽、というその閉じた小空間に、彼らの、あるいはわれらの「信仰」は無力であり、そこにつけこむように、ダークサイドの回路が、「この世の終わり」を仕組んだ危うい「聖域」が口を開く。「渇き」を癒したいならこっちにおいで、こっちは絶対に違うよ、と手招きするように。雪山じゃないのに、笑いが胸のあたりで凍りつく。その凍傷一歩手前で、ドタバタいさかい、ため息をつき、生きる彼ら、あるいはわれらの姿は俗っぽくってちっぽけだけど、図太くて笑える。そう破顔できる言葉と芸の、荒々しくも柔らかな力があった。娘役の新人・黒木華が芸達者なふたつの大波に乗っかって、もっとも渇きに敏感な、ナマイキで活きのいい遭難者を演じていた。三重奏の一角として全身を響かせるように。【9月16日(木)ソワレ 池袋・東京芸術劇場小ホール1にて。千穐楽は9月28日(火)】

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*1:ていうか、「水がほしい」というただの、でも切実な渇きというべきか。