身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

神様のカルテ 櫻井翔/宮崎あおい 感想

  • 白夜行』『洋菓子店コアンドル』に続く若き俊英・深川栄洋の監督作。今年もう3本目という多作ぶりだ。しかも、どれも水準を超えている。いろんなジャンルに挑戦しようという意欲と同時に、一貫して軽みの効いた語りの妙がある。ところどころ甘いなぁと思いつつ、気持ちよく乗せられてしまう。若手・ベテランともどもに俳優を生かすのが上手く、今回は映画畑が原点の宮崎あおいはもとより、主人公のお医者さん役の櫻井翔に感心した。そして『洋菓子店コアンドル』に続く加賀まりこのしなやかな老けの演技。加賀まりこさんももともと映画畑の女優さんで、もっとも奔放・溌剌としていた頃の『月曜日のユカ』(監督・中平康)など忘れがたい。いい監督と出会えてよかったね、と思う。深川監督が役者たちから「またいっしょに仕事をしたい」と望まれるのはわかる気がする。役者の持ち味を生かしながら、脇に至るまで役者に寄り添い、いたずらに作りこまないやり方でナチュラルに役を生動させている。
  • わたしは1ヵ月ほど前に本作を観て、細部の記憶がもうずいぶん怪しいが、まず覚えているのは、地方病院に勤める主人公の内科医・栗原にどこか浮世離れしたところがあって、超絶多忙なさなかにも大好きな夏目漱石の文庫本を手放さず、「草枕」の一節をボーヨーとそらんじたりするところ。舞台『ハムレット』を観た感興から少しオフィーリアのことを調べ、漱石の「草枕」にオフィーリアへの言及があることを知って長い間本棚に眠っていた文庫本をわたしは読み終えたばかりだった。なんという偶然! 「智に働けば角が立つ……」の冒頭部分は誰もが知っていても、漢語・雅語のたぐいが次々に明滅するこの「筋のない小説」を読み切るのはけっこう厄介なのだが、山の奥へ奥へとそぞろ旅のペースをつかめば、随想と旅の夢想の溶け具合が柔らかな湯のように体に馴染んできて、何度も読み返したくなる。
  • 櫻井翔演じる栗原一止(いちと)は、患者の命にかかわる危急の事態にもどこかつかみどころがなく、一見無感動にみえる表情や所作ののろさを、新人看護師に「先生は冷たい」となじられたりもする。醒めるというにはあまりにおぼろ、眠るといっては生気を余してしまう漱石的な「雅俗混淆」の境に、渦中の自分を醒めた眼で見ているもう一人の自分がさまよいゆく感じには、「ヒューマンな感動作」といった紋切り型の言葉には収まらない面白さがある。そうやって俗界で精神のバランスをとってるふうの万年寝不足な若医者の、若さゆえに足踏みしがちな、それでいて若さを逸脱した飄々たるポーカーフェイスと物腰を櫻井翔はチャーミングに演じていた。池脇千鶴の主任看護師が彼の働きぶりをねぎらって気分転換のお酒に誘うのを、「妻ある身だから」とのたまって断りを入れる、やや時代がかった振る舞いなどなんとも可笑しい。そういえば、漱石の「夢十話」の一篇、仁王を一心に彫る運慶の境地を生かした台詞も映画中に出てきた。運慶は木を掘って眉や鼻をこしらえるんじゃなく、もともと木のなかに埋まった眉や鼻をノミを使って掘り出すんだ、という夢の挿話。医の境地になぞらえてか、あれはどんな脈絡で出てきたんだっけ?
  • 宮崎あおいは一止の妻・榛名(はるな)の役。ひとり旅が似合う写真家の榛名は一止よりずっと超俗的で、水面のオフィーリアの意匠をまとって秘境の温泉場に現れる「草枕」の幻想的なヒロイン、謎めいた笑みを湛えていまにも鏡の池に身投げしそうな那美さんを連想させる。榛名はきっとすでに他界していて、亡き夫を想う末期癌患者の老夫人(加賀まりこ)に重ねて一止の脳裏をかすめる存在なのだろう、とわたしは映画を観ながら思いこんでいた。夫の一止に頼まれ、老夫人の好物のカステラを手に榛名が病院にやって来るところで、ようやく彼女が一止のそばにいる死者ではないらしいと思い直す。それほど生活の匂いのまるでしない人妻だった。どこか存在の密度が希薄。そのくせ、ときおりこちらの胸元を射ぬいてくるような燦めきを秘めている。新米の頃は泣き虫医者とも呼ばれた夫が抑えていた感情の沸き上がりに思わずむせぶ、その背中を榛名がガラス戸越しに覗き見る――戸に遮られて手持ちカメラには彼女の片眼だけが浮かぶのだが、その片眼が揺らめきながらみるみる涙ぐんでくるくショットなんて、即興的な演出に応えた女優・宮崎あおいの集中力、感度のよさにしびれてしまう。
  • 春から秋にかけての物語だったか、舞台となる信州・松本盆地は、わたしが学生時代に1年暮らした想い出の場だ。一止や榛名が学生時代の共同生活を引きづってドロップアウトした仲間たちと形成するコミューン空間みたいな、ひなびた旅館を思わせる室内には既視感があった。もしかしてオレがはじめて松本を訪れたときに世話になった旅館では? という思いが消えない。勘違いかもしれないが、まぁ、そんなことはどうでもいい。正直いって、医学を志した一止の初心が宿る、時流に逆らった共同体の名残の情景は、妙に寓意的というか、教訓めいていて映画の流れのなかでは相当浮いている。「浮世離れ」は、浮世の渦中で闘っている一止がかもす裏腹の雰囲気に留めておく方がよかったのではないか。大学病院の権威(西岡徳馬)に見込まれた一止が医局で先端医療を研究する出世の道を蹴り、いつも待合室が満杯の市井の病院を拠点に、老夫人の最期をいかに安らかに充実させるかに労を尽くす、という茨の道のほうを選ぶくだりは素晴らしい。そこで働く老若の医者、看護師、そして生死を預ける患者たちとの連携のアンサンブルがていねいに描けている分、嗚咽を禁じ得なくなる。身近な者をほったらかしにしてしまったこと、その死のきわに立ち会ったこと等々、わが身を省みずにはいられなくなる。窓景色や屋上を生かした地方病院の実働空間には感傷を排した写実があり、ほのかなユーモアと抒情があった。

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